毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3がスタート。新たな幕開けは、銀座を本拠地に繰り広げられる探偵物語? ディストピア感が増す東京を舞台に繰り広げられる、変種のハードボイルド小説をご堪能ください!
【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、秋葉原の執事喫茶「ダウントン・アキバ」の経営者、美倉力。だが最近突然閉店し、夜逃げ同然に姿を消していた。マワローが店へ足を運ぶと、模様替えの真っ最中。そこで彼は店のスタッフに恋していたムスリムの女性と出会い、おせっかいからその男も探すはめに。そして店がテナントとして入っていたビルのオーナー会社を訪ねて六本木へと場所を移す……
日比谷線のホームから、灰色のラインの入った車両に飛び乗ると、俺はネペンタ不動産について調べはじめた。時間なら十分ある。秋葉原と六本木の直線距離は6キロ足らずだが、日比谷線は直線ではなく、弧を描くように湾岸部を迂回して走っている。このため乗車時間は20分を超えるのだ。
スマホを取り出して、Googleに「ネペンタ不動産 アウトロー板」と入力する。ネット掲示板には予想通り、幾つかの書き込みがあった。
ネペンタ不動産のオーナーは、1990年代にフィンランドから来日した元ハウスDJのミカエル・セヴェリ。保証金さえあればテナントを貸してくれるので、物件探しに苦労している外国人の飲食店オーナーからは神のように崇められている。しかしその実態は、池袋を本拠とする半グレ集団「Cボーイズ」のフロント企業らしい。物件が都心の繁華街に集中しているのは、Cボーイズの力を背景に、元のオーナーから奪い取っていったからとの噂がある。
美倉力もケッタイな会社から物件を借りたものだ。もっとも執事喫茶なんて業態は、立地と賃料のバランスが全てだ。大家選びなんかやろうと思ったって出来やしない。
車両が、六本木のホームへと滑り込む。俺は改札から一番近い3番出口から地上に出た。繁華街のちょうど入り口に立つアマンドは今日も賑わっている。この店で一体、これまで何人の男性客とキャバ嬢が待ち合わせをしたのかを想像すると、膨大な数に気が遠くなりそうになる。でもまだ午後早くだったせいか、店内にはクーラーで涼むお年寄りしかいないようだった。俺は繁華街には足を踏み入れず、外苑東通りを渡ってそのまま六本木通りをアークヒルズ方面に歩いた。
ゴミと騒音だらけの街のくせに、六本木は時折とんでもなく魅力的に見えることがある。但しその魔法は夜にしかかからない。真夏の昼下がりの六本木は、馬車になる前のカボチャにすぎなかった。
俺はGoogleマップを確認すると、六本木通りから南側に伸びた小径へと入った。小径はフラットではなく、階段状の坂道になっている。ここには以前来た記憶がある。そうだ、前職の旅行代理店時代に「港区坂道巡りツアー」を企画したときに歩いたんだっけ。小径の名前はたしか「フランス坂」だ。
米国大使館や赤坂プレスセンターといったアメリカの施設が多いこの街に、なぜフランスと名付けられた坂があるのか? どうやら歴史的な由緒は一切なく、坂の形状がパリの石畳の階段を思わせるからという理由だけで呼ばれはじめたらしい。階段の床面に貼られた安っぽいタイルにはパリのエスプリなど微塵も感じられないのだが。
ネペンタ不動産のオフィスは、そんな名前倒れの坂道に面した白いヴィンテージ・マンションの2階にあった。俺がアポなしで押しかけたのは、電話だと対応を後回しにされて、明日の夕方にイギリスに旅立ってしまうシティさんの「見城さんにお礼を言いたい」願いを到底叶えられそうにないからだった。
年季の入った青いスチール製の扉を開けると、正面はすぐ壁になっていて、カウンターに受付電話だけが置かれていた。俺は受話器を取ると、要件を告げた。
「アルゴンキンの町尾と申します。突然すみません。武蔵ビルの件で担当者とお話したいのですが」
甲高い女性の声がした。
「ご来訪ありがとうございます。受付の左手にある応接室でお待ちいただけますか?」
応接室のドアを開けて、高級そうなレザーのソファに座ろうとした途端、白いブラウスに黒いタイトスカートといういでたちのいかにも仕事が出来そうな若い女性が、タブレット端末を片手に飛び込んできた。ヨーロッパ系の血が入っているのだろう派手な顔立ちに、さらにラメ系のファンデーションを塗っているせいで、威圧的に見えるくらいキラキラしている。でも海千山千の外国人富裕客を接客するには、彼女くらい押しが強く見えないとダメなのだろう。
「ネペンタ不動産のセヴェリと申します」
差出された名刺には、アルファベットと併記で「セヴェリ春香」と印刷されている。セヴェリ? オーナーのミカエル・セヴェリの親戚だろうか。
「わたしはアルゴンキンのマネージャー、町尾回郎(まちお・まわろう)と申します」
俺の方からも名刺を手渡して要件を切り出そうとすると、セヴェリ春香から話しかけてきた。
「秋葉原の武蔵ビルですよね? テナントをお探しでしょうか? 実はちょうど来月に5階の部屋が空く予定になっています」
「いえ、お話に伺ったのは6階のテナントの件です」
彼女はタブレットを確認する。
「あいにく6階は成約済で、もう内装工事中のようですね」
「すみません。テナントを借りたいわけじゃないんです。あのフロアについ最近まで入っていた「ダウントン・アキバ」について伺いたいことがありまして」
セヴェリさんは一瞬失望の表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻したようだった。
「どういった内容でしょうか。個人情報保護の観点からお話できないこともあるかもしれませんけど」
俺は正直に、自分の仕事内容について話した。
彼女は、ツケ回収のために東京都内を日夜駆け回っている俺を同情してくれたようだった。
「事情を知っている者がいるかもしれませんので、少々お待ちくださいね」
そう言うとセヴェリさんは部屋の外に消えた。耳を澄ますと、遠くから彼女と別の男が言い争うような声が聞こえてくる。
「ねえ、お願い」
「えっ、俺たまたまここにいただけじゃないすか」
「わたし、細かいことは何も知らないの。まあ、知りたくもないけど。せっかく暑い中、来てくださったんだし、説明してあげてよ。あなただって一応社員でしょ」
「俺、ネペンタとは専属契約してるだけっすよ……ちっ、しょうがないな、行けばいいんですね」
会話が聞こえなくなってしばらくすると、セヴェリさんと同年代の若い男が入ってきた。シティさんがガチ恋している「見城さん」をもっと派手目して、さらにKポップ・フレイバーを増したような2.5次元風イケメンだ。男は俺に名刺を渡してきた。
黒字に金文字で「霞和樹(かすみ かずき) 有限会社グランサム 代表取締役」と印刷されていて、携帯電話とURLアドレスが添えられている。チャラい。どう見ても一般企業の社員の名刺ではない。しかも肩書きがネペンタとは異なる会社の代表取締役。壁の向こう側ではネペンタの契約社員だと語っていたのに。
「で、どんな話っすか?」
霞和樹がぞんざいに尋ねてきたので、俺は説明した。
「武蔵ビルにテナントで入っていたダウントン・アキバのオーナーだった美倉力さんと連絡を取りたいんです。わたくしはアルゴンキンという銀座のバーの者なんですが、美倉さんのツケが溜まっておりまして」
「取り戻すのはまず無理じゃないすか。だって店、潰れたばっかだし」
客相手の口調じゃないだろと、心の中でツッコミを入れながら、俺は話を続けた。
「それにしてもダウントン・アキバはどうして突然閉店したんですか? こんなご時世のわりに健闘していたように思えたのですが」
「そんなこと言うなんて、軽井沢で撮ったYouTubeでも見たんすか?」
霞和樹の質問に俺は答えた。
「見ました」
コロナで飲食業が軒並み休業に追い込まれていた時、「ダウントン・アキバ」もやはり営業休止に陥った。しかし彼らの場合は、店のスタッフ総出でYouTubeやTikTokでいろんな企画に挑戦して、動画収益とフォロワーからの投げ銭でかなりの収益を得ていたように見えた。中でもバイラルになったのが、「執事、軽井沢の休日」シリーズだ。
執事喫茶の執事たちがキメキメのコスチュームのまま、ログハウスのテラスで紅茶を飲んだり、牧場で乗馬したりする奇妙な動画シリーズだったが、コメント欄には「癒される」「現実逃避にもってこいです」といった好意的な感想が溢れかえっていた。おそらくコロナ疲れで、みんな頭がどうにかしていたのだろう。
「あれ、本当は軽井沢じゃなくて北軽井沢で撮っていたって知ってました?」
霞和樹が得意そうに撮影の裏話を教えてくれる。
「力さんはケチなんですよ。北軽井沢って軽井沢駅からすぐ北なのかと思ったら、20キロ以上も離れていて、しかも長野県じゃなくて群馬県だっていうじゃないですか。日が暮れると何もない所なんで、マジ参りましたよ」
別荘マニア、しかも関東在住でない限り、軽井沢と北軽井沢の違いを気にしている奴なんていない。本家軽井沢に格で劣る北軽井沢の貸別荘は、緊急事態宣言下では爆安価格で貸し出されていたはずだ。コストを抑えて着実に利益を掴む。やはり美倉力はやり手の経営者なのだろう。しかし単なるビルの大家がなんでそんなテナントの事情を知っているんだろう?
「よくご存知ですね」
イケメンの表情が曇る。
「霞さん、もしかすると執事のひとりだったんじゃないですか」
霞和樹は俺の問いかけに「しまった」という表情をしたが、観念したのか話し始めた。
「たしかに俺、あのとき執事をやってましたよ。でも北軽井沢で、俺は力さんのヴィジョンの甘さにウンザリしちゃったんですよね。ほかのスタッフはみんな俺の意見に賛成してくれましたよ。それで俺の意見をガッツリぶつけたら、あの人「お前が正しいよ」って認めたのか、会社を俺に譲って辞めちゃったんですよね」
有限会社グランサムっていうのは、ダウントン・アキバの運営会社の名前だったのか。
「ではダウントン・アキバを閉じたのはあなたの判断だったと」
「そうっすね」
「さきほどの説明の通り、美倉さんに連絡を取りたいんで、電話番号を教えていただきますか?」
「いやー、あの人、いま連絡もつかなくなったから無理っすよ」
嘘だ。何かの理由から俺を美倉力と会わせたくないんだ。それはともかく、もうひとつ質問しなくちゃいけないことがある。
「では執事をやっていたスタッフで、見城さんもしくは円城さんという方の電話番号はご存知じゃないですか?」
「見城?」
俺はスマホでさっき撮影したシティさんのチェキを霞和樹に見せた。
霞和樹の顔が紅潮する。
「お、覚えてねえな、こんな奴。あの店はスタッフが結構な速さで入れ替わっていたからなー。こいつもあっという間に辞めたんじゃないかな」
覚えてないなんてありえない。だってシティさんの横にいる見城は「お客の憧れであるエースの俺様が横に立ってやっているぜ」という傲慢な表情を浮かべているのだから。エースが店を辞めて忘れ去られるわけがない。他店に引き抜かれたのか、または何かのトラブルに巻き込まれたのか。
「そこを何とか思い出してくれないですか」
食い下がる俺に、霞和樹がキレた。
「ふざけんのも、いい加減にしろよな! 俺も仕事で忙しいんだからさ。そろそろ帰ってくんないかな」
「この人に会ってお礼が言いたいって女性がいるんですよ」
霞和樹は俺の肩を掴むと、座っていたソファーから強引に立たせた。こいつ、見た目により遥かに腕力がある。そして2.5次元の顔を近づけるとこう言い捨てた。
「残念ながらテナントはすべて埋まっています。お引き取りを」
そういえばネペンタ不動産は「Cボーイズ」のフロント企業だったっけ。これ以上、質問しても殴られるだけだ。俺は聞き込みを諦めた。
マンションのエントランスを出た俺は途方に暮れた。美倉力にも見城にも連絡がつかない。タイムリミットは刻一刻と迫っている。どうすればいい? すると、背中の方から甲高い声がした。
「町尾さん」
振り返ると、そこにはセヴェリ春香がすまなさそうに立っていた。
「申し訳ございません。霞が失礼な応対をしたみたいで」
「いいえ、気にしていません」
嘘ではなかった。未収金回収をしていると、訪問先でキレられるのは、よくあることだったからだ。
「余計なお世話かもしれませんけど」
そう言うとセヴェリ春香はプリントアウトされた紙を俺に差し出した。
「賃貸契約申込書」と印刷された紙には「有限会社グランサム 代表取締役 美倉力」と手書きで書かれていて、電話番号と住所が記載されている。
「6年前に武蔵ビルをダウントン・アキバが借りたときの申込書を見つけたのでコピーしておきました。ネットで住所も調べてみましたけど、よくあるワンルームマンションみたいです。もしかしたら美倉さんの自宅かも」
「すみません。わざわざありがとうございます」
セヴェリ春香はラメ入りの顔をほころばせた。
「いいえ。ここだけの秘密ですけどわたし、霞を全然信用していないんです。父には気に入られているみたいなんですけど、調子のいいことばかり言ってるんですよ、あいつ」
マンションの中に消えていく彼女の後ろ姿を見送りながら、申込書の住所を確認する。中央区日本橋人形町か。とりあえずシティさんのために行ってみようと、俺は思った。
『インナー・シティ・ブルース』発売記念
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PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク