毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!
【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、人気俳優の立花英明。今回特別にツケ回収を後回しにして始まった脅迫事件の追跡も一件落着……と思いたいがどこか腑に落ちないマワロー。そこで彼はある人物に会って真相を確かめることに───。
東銀座駅から都営浅草線に乗って約40分後、電車は終着駅に到着した。プラットホームに乗客が降り立っていく。俺以外のほぼ全員が、スーツケースやリュックを携えていた。そりゃそうだ、ここは「羽田空港第1・第2ターミナル」駅なのだから。
ホームを直進していくと正面は行き止まりになっていて、壁面サインには左に曲がるとJAL中心の第1ターミナル、右に曲がるとANA中心の第2ターミナルに辿り着くと示されている。俺は迷わず右へと進んだ。
改札を通って、第2ターミナルへと足を踏み入れる。エスカレーターでワンフロアあがると、シースルーのエレベーターが見えたので、俺はそれに乗り込んだ。行き先は5階。エレベーターから降りると、吹き抜け空間にブリッジ状に架けられた回廊を歩いていった。
そこで俺を待っていたのは、天井いっぱいのハイサッシの向こうに広がる滑走路。そこは旅客機の離発着を屋内から眺められるスペースになっていたのだ。家族連れで賑わっていて、あちこちから子どもたちの嬌声が聞こえてくる。目当ての人物は見当たらない。やはり外か。俺はコーナー脇から奥へと伸びる通路を直進して屋外へと出た。
今度はすぐに見つかった。巨大なズームレンズをバズーカのように抱えたカメラマニアに混じって、ベージュ色のコートを着たショートヘアの女が、ひとりで滑走路を眺めている。
「連峰(れんほう)さん」
俺が呼びかけると、女はこちらを振り向いた。
「あら、町尾さん。お久しぶり。その節は」
連峰陽子が深々とお辞儀する。
「いいえ、こちらこそお世話になりました」
「お仕事の方は順調ですか?」
俺はあの日以来の進捗を手短に説明した。
「いいえ、まだまだです。1週間ほど前に立花さんから電話がかかってきました。脅迫メールの相手が指定する口座に、300万円をビットコインで振り込んだそうです」
受話器の向こう側の立花は「これで俺も無罪放免だ」とはしゃいでいた。「アルゴンキン」の未収金の話をしたら「やっぱりあれは高いよな」と、代金についてまたいちゃもんをつけてきた。この分だと全額回収までは相当な時間がかかりそうだ。
「これから大変そうだけど、少なくとも前提条件は片付いたわけね」
「いいえ。実は立花さんと電話で話した後、自分がとんでもない勘違いをしていたような気がしまして。今日はそれを直にお話ししたくて、ここまでやって来てしまいました」
連峰陽子が不思議そうな表情をする。
「どうしてここにいるって分かったんですか?」
それは簡単だ。
「あなたの事務所のホームページを見ました。子役時代の主演映画が沖縄の映画祭で上映されるので舞台挨拶されるそうですね。東京から沖縄に行くなら羽田空港一択でしょう。国内線はフライトの1時間前までにチェックインすればいいわけですが、あなたは余裕を見てもっと前に到着すると思ったのです。以前、ニュー新橋ビルの『カトレア』で待ち合わせた時も、私より随分前からいらっしゃったようでしたから」
連峰陽子が笑った。
「昔からそう。職業病なのよ」
「らしいですね。ネットをサーチして知ったんですけど、約束の時間を守るのと、セリフ覚えの速さは子役の絶対条件と言われているそうですし」
「そのことわざ、聞いたことないけど当たっているかも」
「なるほど、当たっていると。でもあなたは以前、『セリフ覚えがとても悪い』とおっしゃられていた。天才子役がセリフ覚えが苦手なんてありえないですよね?」
「嘘をついていたというの?」
連峰陽子の声のトーンに、微かにビブラートが混じる。
「いいえ、悪いのは私なんです。自分で描いたストーリーに囚われて、れっきとした事実から目を背けていたわけですから」
「れっきとした事実って?」
「あなたがセクハラの被害者だということです」
連峰陽子がからかうような口調になる。
「わたしが英明を脅迫した犯人だって言いたいのね。証拠もないのに」
俺は答えた。
「たしかに証拠はありません。それにそもそもあなたを裁ける立場ではないですし、これも自分で描き直したストーリーにすぎないかもしれません。でもよろしかったら聞いていただけますか」
「フライトまであまり時間はないけど、聞かせてほしいわ」
再び滑走路へと視線を移した連峰陽子に聞こえるように、俺は自分の推論を話し始めた。
「あなたと立花英明さんは、2001年に博多で上演されたふたり芝居で共演していますね」
「ええ、『オレアナ』ね。観に来たのは英明の地元のファンばかりで散々だった」
「でも評論家筋の反応は観客とは正反対でした。当時の劇評を見ましたよ。連峰陽子は繊細かつ大胆。でも立花英明は力みすぎで薄っぺら。演技面ではあなたの圧勝だったみたいですね。東京進出を伺っていた立花さんは敗北感を覚え、俳優としてあなたを凌駕したいと執念を燃やすようになったんじゃないでしょうか。アルゴンキンで獲得した人脈を武器に成功しても彼のコンプレックスは消えなかった。ことあるごとにあなたを酒の席に呼び出しては、自分がいかに業界から評価されているのかを誇示してマウントを取ったのです。ところがあなたはまるで相手にせず、徐々に疎遠になっていった」
「それは当たってる。だってあの頃はバラエティで忙しかったもの」
「その通りです。連峰さんはドラマからバラエティへと軸足を移していた。理由はご両親の作った1億円の負債です。借金返済のためには準備や撮影に時間がかかる俳優業よりもバラエティに出た方が本数を稼げますからね。あなたは負債を返済したばかりか、実家の建て替えまで行ないました」
「そんなことわかるものなの?」
「法務局で登記簿を見れば、誰でも家が建てられた時期や所有者がわかりますので。ご実家の登記簿を閲覧したところ、建物の所有者はあなただけでした。連峰家はあなたの収入だけを頼りに生きていたんですね。それでもあなたはご両親を看取るまでお世話しました」
ついでに言えば、連峰陽子の実家の抵当権がなくなった時期と、バラエティ番組に出なくなった時期は完全に一致する。彼女はバラエティに興味なんかなかったのだ。
「ご両親が亡くなって、あとは純粋な愉しみとして舞台女優をやって生きていこう。そんな想いを行動に移してしばらく経った頃、新型コロナのパンデミックが起こりました。舞台の上演はことごとくキャンセルされ、あなたは演技が出来ない状態に陥った」
「たしかに1年近く失業状態だったわね」
「眠れない夜、弟の育さんから入手していた立花英明のセクハラ写真を見返した。演技力が遥か下にもかかわらず、立花さんにはコロナの影響は少なく、ドラマで大きな役を任されていた。憤ったあなたは彼に写真を送ってしまった。立花さんがメールアドレスを知らなかったのは、交流が絶えていた間にアドレスが変わったから。文章が何も添えられていなかったのは、その行動が衝動的だったからに過ぎない」
「あれ、犯人はCボーイズの内藤って人じゃなかったの?」
「ある事情通に確認しました。内藤は幹部なんかじゃない。実行部隊の使い走りで、脅迫計画を考えるタイプではないそうです」
ちなみに『事情通』はでっちあげではなく、実在する。別件で偶然知り合ったCボーイズのフロント企業「ネペンタ不動産」の社長令嬢セヴェリ春香だ。
「あのバカにそんな大それたこと、できっこないですよー」と、彼女はゲラゲラ笑いながらそう保証してくれた。ついでにセヴェリ春香は俺の知らない情報まで教えてくれた。
「事情通によると、そもそも『アモーレ』自体がCボーイズ系列だそうです。盗撮写真はCボーイズの利益を脅かすことがない限り、使わないのが鉄則らしい。彼らにとってはお客様ですからね。つまり東京オリンピックの利権を巡る争いは存在しなかったのです」
連峰陽子の視線がこちらに向けられる。俺の目を潰しそうなくらい鋭い。でも話を続けるしかない。
「あなたに脅迫の意思はなかったと思います。連峰さんが願っていたのは、立花英明がメールの意図を察してこれまでの言動を謝罪してくることでした。ところが彼は自分で連絡してこないばかりか、無関係な私にそれとなく探らせようとしてきた。立花さんに幻滅したあなたは、その場のアドリブで『半グレの脅迫計画』というプロットを創りあげたんです。弟さんを通じてCボーイズについて知っていたでしょうし、ひょっとすると山王勉もご存じだったかもしれませんし」
「ちょっと待って、矛盾がある。わたしはもうお金が必要じゃないんでしょ?」
「ええ。連峰さんの本当の狙いは、立花さんからお金をむしり取ることじゃない。弟の育さんを独り立ちさせることだったのです。彼は、ご両親が亡くなってからも相変わらずあなたに寄生するように生きようとした。それとなく独立を仄めかしても、育さんはそれを理解しようとすらしない。そこでありもしない生命の危険を煽ることで、彼を強制的に自立させようと思いついたのです。あなたの名演に誘導された私は、先走った推論を話してしまい、弟さんは海外へと旅立っていった。ちなみに今どこにいるんですか?」
「クアラルンプール。楽しくやっているみたいよ。でもあなたの勝手な推理だと、わたしは大した知能犯なのね。わたしも推理してみていい?」
彼女の推理って一体なんだ?
「ええ、どうぞ」
「そこまでの知能犯なら、英明から振り込まれた300万円は私事には使わないかもね」
「何にお使いになるんですか?」
「女性団体に寄付するでしょうね。名義は立花英明名義」
わけがわからない。日が陰ったのか、急に気温が下がって感じる。
「どうしてわざわざ?」
「週刊誌がその事実を知ったら、美談と勘違いして英明を取材するはずよね。もしあの人が過去に色々行ったことへの贖罪の証だと言えばそのまま放っておくけど、自分はもともと女性運動を支援してきたとかバカなことを言ったら……面白い展開になるかもね」
その時こそ、セクハラ写真が世間にバラ撒かれるわけか。巧妙なトラップだ。
連峰陽子が腕時計をちらっと見た。
「あら、もう時間」
これで終幕か。そもそも推論が当たっているかどうか話しに来ただけのエキシビジョン・マッチなわけだけど、それでもこのゲームの勝者が彼女であることは間違いない。俺は白旗をあげるしかなかった。
「お時間を取らせてすみませんでした」
連峰陽子の表情が和らいだ。
「最後に聞きたいわ。私が展望デッキにいるってどうしてわかったの。展望デッキは第1ターミナルにもあるし。まずあっちで探してからここに来たとか?」
「いいえ、まずこちらに来てみました」
「なぜ」
「理由はふたつあります。沖縄行きのフライトはANAの方が少しだけ多いんですよ。もうひとつはここからの眺めです」
「眺め?」
「こちらの展望デッキからは正面に東京湾が見えますよね。あなたの実家のそばの多摩川の川辺の景色となんだか似ているなと思って。育さんがおっしゃっていました。家族全員、この眺めが大好きだったのに、あなたは仕事が忙しくてあまり見ることができなかったって」
連峰陽子が笑いはじめた。
「その推論、少々センチメンタルすぎない?」
「そうかもしれません」
「でも楽しかった、さようなら」
そう言い残すと、女は冬の空に飛び立つために搭乗フロアへと去っていった。
PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク