インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第十四話:プライベート・アイズ 後編(都営浅草線)

illustration_yuriko oyama

インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第十四話:プライベート・アイズ 後編(都営浅草線)

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 毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!

【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、人気俳優の立花英明。マワローは立花と直接話す。すると彼は不明な誰かから送られてきた、立花が過去に行ったセクハラの証拠写真をマワローに見せ、それをもとにゆすられるのが不安だから支払いを待ってくれと言う。紆余曲折を経てマワローはその写真の撮影者をつきとめたが……

 糀谷(こうじや)。聞き覚えのないその街を、俺は何度も電車で通り過ぎていた。前職の旅行代理店時代、客を出迎えに羽田空港に行く機会がたびたびあった。よく使った路線は、都営浅草線から直接乗り入れしている京浜急行。その京急蒲田駅から羽田空港まで伸びている支線「空港線」のひとつめの駅が糀谷だったのだ。
ありふれた高架式の駅舎から外に出ると、再開発によって作られたらしき殺風景なオープンスペースが広がっている。スマホでGoogleマップを確認する。トラックやバスが走る環状8号線を渡ると、俺は商店街へと足を踏み入れた。
 町中華、精肉店、美容院。個人経営の小さな店が軒を連ねる通りを、さまざまな年代の男女が行き交っている。その約半数が自転車に乗っているため、狭い通りが一層狭く感じる。ふと見上げると、おびただしい数の送電線が行き交っていた。昭和の面影を留めた商店街にありがちな風景である。
 もっとも「昭和度の純粋さ」でいえば、糀谷商店街は都内屈指かもしれない。浅草のような観光客ウケする要素も、高円寺のサブカル感もなく、近所の住民が生活必需品を買い求めるその需要だけで店が成り立っているからだ。それにしても支線の途中駅でしかないのに、なぜこれほど賑わっているのだろうか。理由が分かったのは、商店街を抜けて住宅街に入ってからだった。
 普通の住宅地と比べると、錆びたトタン壁の建物が目立つ。よく見るとそれらは住宅ではなく町工場だった。昭和の昔、この一帯は工場街だったのだ。そこで働いていた大勢の工員の中には、住宅街へと姿を変えていったこの街に愛着を覚えてそのまま住み着いた者も大勢いたはず。その工員の子孫たちが、現在の商店街を支えているというわけだ。
 そんなかつての工場街の中を南下していくと、真正面に階段があった。俺はそこを登ってみた。その先にあったのは、雲ひとつない秋の空だった。目の前には見渡す限りのグラウンドが広がり、子どもたちのグループが、サッカーやダンスの練習に興じている。そのまた先には何かが白く光り輝いている。多摩川の水辺だ。Googleマップで現在地を再確認する。多摩川大師橋緑地。ここで間違いない。時刻は約束していた午後2時ぴったりだ。
 連峰陽子の弟、育は、この緑地を待ち合わせ場所に指定してきたのだった。閉ざされた空間にいると身の危険を感じるのか? それとも単に喫茶店で飲み食いする金が惜しいのか? おそらく両方だろう。
 連峰陽子から教えてもらった番号に電話する。しばらくすると繋がったので、俺は挨拶した。
「連峰育さんですか? アルゴンキンのマネージャー、町尾回郎と申します。たった今、到着しました」
すると背後から「あのー」と呼びかける声がした。振り返ると、濃灰色のフィールドコートにジーンズという出立ちの痩せた男が、さっきの階段を登りきったところだった。
「今日はお時間を割いて下さってありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ」
 そう話す連峰育は、姉とよく似た顔立ちだったものの、世慣れた雰囲気が漂う彼女と比べると、余裕のない人物に見えた。彼は早口で話し始めた。
「こんなところに呼び出してしまってすみません。実家がすぐそこなんすよ。今は建て替えたので広いんですが、子どもの頃はめちゃくちゃ狭くて。そのせいか普通の家とは反対に、あらたまった話をするときは、川辺に出かけるのが習慣になっちゃって、俺もその影響を受けているんですよ。まあ、ここからの景色が家族揃って好きだったっていうのもあるんですが」
 何かあると多摩川の川辺に行く。この街ならではの一家といえるかもしれない。
「ではお姉さんと一緒にこの景色を見ていたわけですね」
 連峰育は「まさか」という表情を顔に浮かべた。
「姉貴は滅多にいなかったなあ。ほら、子どもの頃から撮影とかで忙しかったから」
「なるほど」
 そろそろ話を切り出すか。
「連峰さん、あなたは、麻布の会員制バー『アモーレ』で働いていたそうですね」
「ええ」
「あなたはそこで得た情報を、見聞きするだけでなく秘密に撮影していた」
「姉貴から聞いたんですか?」
「いいえ、あくまでわたしの想像です。今から五年ほど前、俳優の立花英明がお姉さんにセクハラした際もその様子を撮影していた」
 連峰育の反応はあっさりしたものだった。
「ああ、あれかー。覚えています。確かに撮りました。姉貴にも見せて『よくこんなのに耐えたな』って訊いた記憶があります。ありゃ最低だったなー」
 ここまで素直に話してくれるのなら、単刀直入に尋ねてみよう。
「その写真が今、立花さんへの脅迫に使われているんです。まさかあなたがやってはいないですよね?」
 連峰育が声を荒げる。
「まさか! 俺のわけないっすよ。だってあの写真は売っちゃったし」
「いくらでですか?」
「たしか5万円だったな」
 商売下手め。
「でも元の画像データはお持ちですよね?」
「持ってはいますけど、そんなものを勝手に使ったら、売った先からどんな目に遭うか分かったもんじゃない」
 どんな目に遭うか分からない? いくら荒っぽくても、編集プロダクションが直接的な暴力を振るうわけがない。
「写真を売った相手を教えていただけますか?」
 連峰育は少しの間、黙りこんで、グラウンドを見ながらゆっくり屈伸をすると、口を開いた。
「内藤って奴です。Cボーイズって知っています? あそこの幹部なんです」
 池袋を拠点とする半グレ集団、Cボーイズか。奴らならカジュアルに脅迫しそうだ。でもそれだけだろうか。芸能スキャンダルが明るみになる時は、その陰に本当にヤバい問題が存在するという話を聞いたことがある。口封じの交換条件として、芸能人は生贄としてマスコミに捧げられる。あれだけワナビーが大勢いるにもかかわらず、芸能人が高収入なのは、いつ人生を破壊されるか分からないリスク込みだからだ。
 もし今回の生贄が立花英明だとしたら、彼が「アモーレ」に居合わせた日に存在を隠したい人物がいたはずだ。
「あの夜に撮影した写真はこの一枚だけじゃないですよね」
 連峰育が自慢げな表情を浮かべた。
「たくさんありますよ。ぜんぶGoogleフォトにあげているから、今この場で見せられますよ」
 本来、極秘にしておかなければいけない写真をハッキングされたら、どうするつもりだろう。脅迫犯にしては呑気すぎる。こいつは間違いなくシロだ。しばらくすると連峰育がスマホのディスプレイをこちらに向けてきたので、覗き込んだ。五年前に「アモーレ」で撮られた写真が何枚も並んでいる。
 いちばん目立つのは、立花英明がヒルトン成田のスイートルームで見せてくれた例の写真を筆頭とするセクハラ写真の数々だ。しかし脅迫犯が真に問題視している写真はその前後にあるはず。俺はディスプレイを凝視しながらスクロールしていった。ひょっとしてこれか?
 ソファに身を委ねた立花が、三人の男に囲まれながらテレビドラマでお馴染みのドヤ顔をしている。三人の男のうち、ひとりは仕立ての良いスーツを着た50代後半らしき男。もうひとりは黒い長袖シャツを着てアゴ髭を蓄えた立花と同年代に見える男だ。最後のひとりは会員制バーより料亭の方が相応しい風情の白髪の老人だった。
「この写真だけで結構ですので、わたしのスマホに送って頂けませんか」
「いいっすよ」
 すぐ横に立っている連峰育から、世界中を張り巡らされたワールドワイドウェブを通じて写真が送られてくると、画像サーチをかけてみる。最初にサーチしたのは仕立ての良いスーツの男。いきなり若い女とのツーショット写真が目に飛びこんでくる。NHKの朝ドラに出ていた関町桜だ。まさか愛人とか? しかし写真をタップすると、彼女がノンアルコール飲料のCMキャラクターに起用された発表会の写真にすぎないことが分かった。スーツの男は企業側の代表として出席していただけか。立花が「ドラマのスポンサー」だと言っていた広報部長は、おそらくこの男なのだろう。
 次に顎髭の男をサーチしてみる。ろくろを回しているようなポーズのアー写が出てきた。タップすると「仕事嫌いにしか出来ない裏技仕事術」といったタイトルの、陳腐な自己啓発系のネット記事だった。どうやら彼は広告界の大物クリエイターのようだ。スポンサー企業の広報部長と広告クリエイター、そして人気俳優。この三人だけなら、麻布の会員制バーにありがちなスリーショットでしかない。ということはキーになるのは白髪の老人か。
 ところがあらゆるサーチを試してみても、ネット上に全く情報が出てこない。仕方がない、あの人に頼るか。俺は電話をかけた。
「マワロー、こんな遅い時間に何?」
 昼夜逆転生活を送っている囲間楽にとって、そろそろ眠気が襲いつつある時間帯であることに俺は気がついた。
「すみません、楽さん。どうしても素性が分からない男がいるので、調べてほしいんです」
「どうせ、仕事と直接関係ない話に巻き込まれているだけなんでしょ?」
 相変わらず鋭い。
「すみません。でもこれを解決すれば立花のツケを回収できるかもしれないんで」
「まあ、いいけどさ。執事に調べさせるから写真を送ってくれる?」
 俺は写真をメールした。10分もしないうちに返信があった。
そういうことか。俺はゴルフスウィングの真似事を始めていた連峰育に声をかけた。
「わかりました。あなたはトンデモないものを撮影したみたいです」
 連峰育の表情に影がさす。
「えっ、それはなんですか」
 彼にだけ話しても理解は進まない。俺は質問に答える前に、ある番号に電話をかけた。
「はい」
「連峰陽子さんですか? アルゴンキンの町尾です。いまお時間よろしいでしょうか?」
「ええ、リハーサルまでまだ1時間くらいあるからいいですよ。もしかして謎が解けたの?」
 俺は連峰姉弟の両方に聞こえるように、スマホをスピーカー・モードにした。
「あくまで私の推論なのですが。弟さんは立花さんのスキャンダルを撮影しようとして、オリンピック関係者の秘密の会合現場を収めてしまったようです」
「あら、わたしはあの夜、立花さんに電話で呼ばれてお開き直前に『アモーレ』に行っただけですけど、そんな人いなかったと思いますよ」
「たしかに。立花のほかにいたのは、スポンサー企業の広報部長と広告クリエイターですからね。でももうひとり、白髪のお年寄りがいたのを覚えてないですか?」
「うーん、そういえば」
「男の名は山王勉。もともとは有名な総会屋でしたが、オリンピック委員会と政財界を結ぶフィクサーとして暗躍していたそうです。立花さんはバカじゃない。横でうっすら話を聞いて、大がかりな商談が進行していることに気がついた。そこで自分もこの場にいると印象づけようと躍起になるあまり、あなたを呼び出してセクハラ行為をしたわけです」
「でもそれと脅迫とはどんな関係があるの?」
 連峰陽子の問いに俺は答えた。
「半グレあがりのCボーイズってご存知ですか? 大企業と政界の癒着を嗅ぎつけた彼らは、弟さんから写真を入手して、それを武器に企業重役や政治家に揺さぶりをかけた。『自分らにも利益を分けろ』って要求したんだと思います。ところが折衝窓口になった山王勉は、半グレ集団より遥か上の権力者だ。そのためCボーイズは矛を納めざるを得なくなったんでしょう。脅迫の中心となったのは内藤という幹部だったようですが、組織内で彼の面目は丸潰れだったはずです。そこで何とかメンツを保とうと、今度は山王とは直接面識が無い立花に狙いを定めたんじゃないでしょうか」
「あの人はそれで全財産を毟り取られちゃうのかな?」
 流石にそこまではやらないだろう。今度は失敗できないし、Cボーイズと芸能界は色んなところで繋がっている。
「芸能界と半グレは持ちつ持たれつですから、どこかで手打ちにするつもりじゃないですかね。もし一線を越えたら、立花はスポンサー企業に事態を収拾してくれと泣きつくはず。スポンサー企業もCM俳優が突如降板にでもなったら、ポスター回収やCM再製作で億単位の金がかかってしまう。すると……」
「半グレはもう一回、山王勉を相手にする羽目に陥っちゃうってわけね」
 連峰陽子は弟と比べて頭の回転が速い。
「その通りです」
「育はそこにいるの?」
「ええ、います」
 俺は連峰育にスマホを手渡した。小さなスピーカーから、連峰陽子の切羽詰まった声が溢れ出す。
「育、あんた危ないわよ。半グレと政財界の戦争に巻き込まれるかもしれない。すぐ荷物をまとめて海外でも何処でも逃げなさい」
 連峰育が露骨に嫌な表情をする。
「外国なんて嫌だよ。言葉喋れないし。それに金はどうするんだよ。今も姉貴に頼りきりなのにさ!」
「当座のお金はわたしが何とかする。そのあとあの家を売ってお金にしよう」
「えーっ、俺たちが育った家だぜー」
 緊張感が薄い弟に対して姉がキレた。
「あんた、そんなこと言っている場合じゃないでしょ? お願いだから言うこと聞いて。そうじゃなきゃ、もう助けないから」
 連峰育は空を仰ぎながら「わかった」と答えると、ゆっくりと俺にスマホを返した。
「町尾さん、お願いがあります」
 連峰陽子が懇願してくる。
「写真を撮ったのが育だってこと、立花さんには内緒にほしいんです。あの人もそれなりに力がある人だから」
「わかりました」
「ありがとうございます。いずれアルゴンキンに伺ってお礼させていただきますね」
電話が切れた。俺はその場に呆然と立ち尽くしている連峰育に一礼すると、多摩川大師橋緑地をあとにした。糀谷駅に歩いて戻りながら、俺は立花英明に電話をかけた。
「立花さん、どうやら謎が解けたようです」
 俺は、彼に自分の推理を説明した。撮影した者は不明だったが、それを手に入れたのはCボーイズの幹部、内藤らしいこと。当初はスポンサー企業や政治家を狙っていたが大物フィクサーに阻まれたため、ターゲットが立花に変わったこと。
 立花英明の声が徐々に明るく、ハイテンションになっていく。
「そうか、俺は誰か分からない奴から陰険に脅され続けたらどうしようかと思っていたんだ。でもCボーイズの連中とは麻布や六本木でよく会うからな。この際だから、パッと言い値で払ってスッキリしちまうかー」
 俺は皮肉を言ってやった。
「その勢いでアルゴンキンへの支払いもパッとお願いしますよ」
「ハハハ。まあ、それは奴らから要求される金額次第だな」
 この分だと、アルゴンキンが未収金を回収するのは当分なさそうだ。ともかく一件落着か。でも頭上に広がる秋の空とは正反対の、モヤモヤしたものが俺の頭の中には渦巻いていて、それが消えることは無かったのだった。


『インナー・シティ・ブルース』発売記念

『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:前編
『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:後編

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters

2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税

著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク


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