インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第十二話:プライベート・アイズ 前編(都営浅草線)

illustration_yuriko oyama

インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第十二話:プライベート・アイズ 前編(都営浅草線)

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毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!

【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、人気俳優の立花英明。立花のツイッターを見たら、明日からロンドンの映画祭に出席すると書かれていたのを目にしたマワローは、推理を駆使して彼がヒルトン成田に泊まっていると当たりをつける。仕事の関係者を装い、まんまと立花の部屋へ通されたマワローだったが、会ってみると立花は予想を超える食えない男だった……

 時計の針は午前一時を回りかけていたが、ヒルトン成田のロビーは大きなスーツケースをひきずる男女でごったがえしていた。シルバーウィーク前夜だからだろう。彼らは朝早くのフライトで成田空港から海外に飛び立つ前に、ここでひと休みするのだ。
 俺はロビーの奥に緩く弧を描いたチェックイン・カウンターを見つけると、近づいていった。こんな時間だというのに、受付係の女性は生まれてから疲れたことが一回もないかのような笑顔で俺を迎えてくれる。
「ご宿泊でいらっしゃいますか?」
「いいえ、わたくし映像ディレクターをしている奥脇という者なのですが、立花英明さんに緊急のお届け物がありまして」
 俺がそう言うと、彼女はタブレット端末を確認し、カウンターの裏に備えつけられたインターホンで相手を呼び出すと、しばらく会話を交わした。
「おやすみ中、大変申し訳ないのですが……ええ、そのようです……」
 受付係は受話器を置くと、俺に視線を戻した。
「立花様は直接お部屋までいらっしゃってくださいとおっしゃっています」
 やはりこのホテルに泊まっていたか。
 俺はエレベーターに乗ると、受付係の案内通りに12階で降り、ブラウン地にゴールドの幾何学模様が描かれたカーペットが敷きつめられた長い廊下をひたすら歩いた。カウンターと同じように、廊下も緩く弧を描いている。このホテルは、どの部屋からも成田空港の滑走路が見えるように設計されているのだ。
 廊下の行き止まりにたどり着くと、部屋番号のプレート下にあるブザーを押した。鈍い音を立てて扉が少し開いたが、向こう側にいた男が異変を察して閉めようとする。慌てて俺は、靴のつま先を扉の隙間にねじ込み、そのまま扉を蹴り飛ばして部屋へと入った。白いナイトガウンを羽織った長身の立花英明が顔を強ばらせながら後退りしている。ドラマで何度も観た、狼狽したときのリアクションだ。テレビで慣れ親しんでいた動きを目の前でされることが、これほど奇妙な気持ちを抱かせるとは思わなかった。
 立花英明は1973年福岡県出身の俳優、タレント、司会者である(Wikipediaより)。彼が大学時代に小劇場演劇にかかわりはじめたとき、この世界の主流はすでに演出家主導の「静かな演劇」へと移っていたそうだが、そのせいで逆に彼の俳優としての「ウザい」個性が際立った。立花はまずローカル局のバラエティ番組、次いでドラマの脇役として注目されると、来る仕事は拒まない姿勢と、どんな役も全力で演じる芸風が評価され、瞬く間にテレビドラマに欠かせない人気俳優の座まで駆け上がったのだった。
「あんた、何者だ? 人を呼ぶぞ!」
 俺は彼に近づいていくと、スーツのポケットから名刺を取り出して手渡した。
「電話では何度かお話させていただきましたが、アルゴンキンのマネージャー、町尾回郎(まちお・まわろう)と申します」
 立花英明は名刺を眺めながら文句を言った。
「何度もしつこく電話をよこしていたのはアンタか。こんな深夜に失礼じゃないか。奥脇だと思ったから、中に通したのに」
「それについては謝罪致します。奥脇さんの名前は、あなたが司会する番組にクレジットされていたので、名前を騙れば直接お会いできると思ったのです」
 立花英明が感心したような表情を浮かべた。
「なかなかの知能犯だな。まあ、一杯飲めないか」
 俺にシャンパンを勧めてくる。この男は今、いかなる事態においても余裕綽々の大物を演じたいようだ。ひとり芝居に付き合うつもりはさらさらなかったが、彼が手に持ったボトルに「KRUG」と書かれたラベルが貼られていたので、一杯頂戴することにした。
 立花はグラスを手に窓辺に立ち、夜間照明で照らされた滑走路を眺めたまま、言葉を発した。
「どうして俺がここに泊まっていると分かった?」
 問いに答えないと、先には進めなさそうだ。仕方なく俺は答えた。
「立花さんがなかなか支払いに応じてくださらないので、直接お会いしてお願いしたいと考えました。ふとあなたのツイッターを見たら、明日からロンドンの映画祭に出席すると書かれていました。現在、空前の円安のために航空運賃は値上がりしています。しかもロシアとウクライナの戦争によって、ヨーロッパ行きのフライトの殆どは時間がかかる南回りになっています。だがあなたほどの売れっ子ならいくら高額でも直行便を選ぶでしょう。直行便のフライトスケジュールを調べてみたところ、午前9時前後に集中していました。国際便のチェックインは出発の2時間前までですから、午前7時までにはチェックインする必要があります。でも月島にあるあなたのマンションから直接行こうとすると、夜中に起きなければいけないですよね? またシルバーウィーク初日の高速渋滞に巻き込まれるリスクもあります。だからあなたはホテルに前泊するに違いないと思ったのです」
「なるほど。しかし成田空港にはホテルが数えきれないほどあるぞ。なぜここだと思った? しらみつぶしに回ったのか?」
「いいえ、最初に訪れたのがこのヒルトン成田です。成田空港に至近の高級ホテルは三つあります。JAL、ANA、そしてヒルトンです。でもJALとANAはテレビドラマの有力スポンサーですよね? あなたはどちらかの常連と認識されて、将来のテレビドラマのキャスティングでスポンサーから難色を示されるのを避けるために、外資系のヒルトンを選ぶと思ったのです」
「見事な推理だな。ちょっと間違ってはいるけどな。実際はJALかANAのどちらかのCMに出てみたいと思っていただけなんだ。どちらかの愛用者ってバレたら、CMオファーがおじゃんになるかもしれないだろ? ワハハハハハ」
 この男、つくづく芝居がかっている。だが立花のショーは終わらない。彼は俺を挑発するような表情を浮かべながら指差した。
「その推理を頼りに、お前は東京からはるばるタクシーを飛ばしてここにやってきたってわけか?」
「いいえ。タクシーを使ったのは京成成田からです。東銀座で23時2分に都営浅草線に乗れば、1時間半くらいでここまで来れますから」
 ちなみに電車賃は1000円程度。前職の旅行代理店時代に、来日する観光客を出迎えるために都営浅草線を使い倒していた経験が役にたった。俺はシャンパンを飲み干し、グラスをテーブルに置くと本題に入った。
「あなたからの質問には答えました。今度はこちらからお願いさせていただく番です。以前から書類や電話でお伝えしています通り、アルゴンキンのご飲食代880万4682円の支払いをお願いできますでしょうか」
「以前から言っているけどさー、高くないか?」
「金額としては妥当だと思いますが。あなたが現在の地位を得るために、アルゴンキンは不可欠だったはずですから」
 それは嘘ではなかった。アルゴンキンのオーナー、ドロシー・ママは、立花英明に関してこんなメモを残していた。
「飢餓的なまでの上昇志向の主」
 ある夜、大学時代の先輩に連れられてアルゴンキンを訪れた立花英明の何かに憑かれたような表情に、かつてニューラテンクオーターで働いていた若き日の自分を重ね合わせたドロシーママは、彼に日曜の特別営業時間に顔を出すように勧めた。通常、銀座のバーが閉まる日曜の夜、アルゴンキンでは芸能界のVIPが集まって親交を深め、情報交換を行なっていたからだ。その後の立花のサクセスストーリーは、日曜のアルゴンキンで培った人脈抜きには語れない。
 俺の言葉を聞いた立花は一瞬「なるほど、もっとも」という表情をしたが、すぐにうつむいてしまった。そして彼はうつむいたまま唸るような低音で俺に懇願した。
「すまん……もう少し待って欲しい」
 ツケの回収係にとってはさんざん聞き飽きた言葉だ。
「半年前に電話したとき、あなたは自由にできる資金はすべて投資に回しているから、現金化に時間がかかる。だから待ってくれと、おっしゃっていましたよね? でも今になってもまだ待ってくれと言っている。失礼ですが、あれは出まかせだったんですか」
「いや、すでに現金化は終わっているんだ」
 どういうことだ?
「ではなぜ支払ってくださらないのですか」
「……不安なんだよっ!」
 突然そう叫ぶと、立花英明はベッドサイドに猛然と駆けていき、サイドテーブルに置かれたスマホを手に取ると、こちらにダッシュで戻ってきて画面を俺に見せた。
「なんですか、これは?」
 そこに映っていたのは浮世絵の「見返り美人」のようなポーズをとった立花英明だった。カメラに向かってドヤ顔をしている。ただし服は着ておらず全裸。彼の後ろには三十代にみえる女性が立っていて、困惑混じりの表情を浮かべていた。
「現金化したすぐ後だから、4月くらいかな。知らないアドレスからこの写真がメールで送られてきたんだ」
「これ、アルゴンキンで撮った写真ですか?」
「アルゴンキンでこんな事をやったら出禁になるだろ。麻布の『アモーレ』って会員制バーだよ。5年くらい前のことだ」
「そこであなたはセクハラ行為を働いたと」
 立花英明は弁解した。
「顔の表情でわからないか? 酔った勢いでやった冗談に決まってるだろ。ドラマのスポンサーだった会社の広報部長も一緒だった。まあ一種の余興だったってわけよ」
「今どきそれは通用しないと思いますけど」
「そんなこと分かってるよ。今こんな写真が出回ったら、シチュエーションは無視されてデマだけが広がっちゃうだろ!」
「すみません、それとアルゴンキンへの支払いとどんな関係があるんですか?」
「町尾さん、わからないのか? 送り主はこの写真を武器に俺をゆすろうしているんだよ。その連絡がいつ来るかとずっと待っていたんだ」
 なるほど。今の立花の年収を考えれば、スキャンダルを口封じするにはアルゴンキンのツケの最近を遥かに上回る金が必要だろう。もし送り主との交渉が決裂したら写真が世間に出回って、それはそれで彼はCM違約金の支払いに追われるかもしれない。いずれの場合も金がかかるから、アルゴンキンへの支払いに躊躇しているわけか。
「後ろに立っているこの女性からのメールという可能性はないんですか?」
「それは絶対ない。彼女とは一時期よく一緒に遊んでいてね。といってもヘンな関係じゃない。仕事仲間だった」
「彼女も芸能人なんですか?」
「連峰陽子(れんほう・ようこ)って女優を知っているか? 彼女だよ」
 聞いたことがない。
「いいえ」
「一時期わりと売れていたんだが」
「それじゃあ連峰さんとはこの件について話し合っているんですね?」
「いや、最近疎遠だったから、電話すると逆に怪しまれるんじゃないかって思ってしまって、連絡できないでいるんだ……あっ、そうだ、町尾さん、俺の代わりに会いに行ってくれないか?」
 何を言ってるんだ?
「私はこの件とは無関係ですよ。それに突然伺って、会ってもらえると思えませんし」
 立花英明は視線をくいっとこちらに向けると、出演ドラマで敵を追い詰めるときに浮かべる勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。
「いや、彼女は君に会ってくれるに決まってるんだよ!」
「なぜですか?」
「連峰陽子もアルゴンキンにツケがあるからだ。6年前の俺の誕生日だった。いつもは俺のツケにしてもらっていたんだが、パーティ会場に行く前に立ち寄ったとき、誕生日だからって奢ってもらったんだ。それを理由に、いま俺にこうしているみたいに取り立てに行けばいいじゃないか」
「たしかにそれ自体は可能ですが」
「その時にだ、この写真を誰が撮ったか覚えていないか、ついでに聞き出してくれないか?」
 呆れた。この男は自分のスキャンダルをもみ消すために、ツケが溜まっているバーの従業員を手駒に使うつもりなのだ。
「立花さん、それは引き受けられません。ふたつの話は本来別ものじゃないですか」
 俺がそう答え終わらないうちに、立花英明は俺に向かって深々とお辞儀をすると、大声を張り上げた。
「わかってる! だが町尾さん、なにとぞ、なにとぞお願いします!」
お辞儀の角度といい腕の位置といい、惚れ惚れするくらいパーフェクトだ。有無を言わせぬ説得力がある。それにもしこの問題を解決すれば、立花英明のツケの15%、約132万円が俺のものになる。自分の借金完済にとって大きな前進だ。俺は、理屈がまるで通っていない依頼を引き受けざるを得なかった。
「わかりました。やってみましょう」
「おお、そうか。まっ、頑張ってくださいよー」
 立花英明の声のトーンが急に平坦になる。なんてこった、この男の演技にいっぱい食わされた。ふと俺は、このあと始発までどう過ごすか考えずにここまで来てしまったことに気がついた。


『インナー・シティ・ブルース』発売記念

『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:前編
『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:後編

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters

2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税

著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク


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