毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!
【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、日本で最もリッチな階級に属すると言われる角松商事の経営者、角松正樹。高級住宅街の松濤にある邸宅を訪ねると、正樹の母親から彼は翌年亡くなったと告げられる。その母親は、正樹のツケはその妻の成美が払うべきだと主張する。その女性とは、なんとかつての特撮テレビドラマ「地下鉄戦隊メトロンジャー」の主人公のひとり、銀座オレンジ役を演じていた佐野成美だった───。
【あの美女は今】 佐野成美さん
子ども向け番組ながら、大人にも根強いファンが多いスーパー戦隊シリーズ。来月「騎士竜戦隊リュウソウジャー」が最終回を迎えるが、シリーズ最大の問題作「地下鉄戦隊メトロンジャー」の銀座オレンジ役で人気を博したのが佐野成美さんだった。彼女は今、どうしているのか。
浅草仲見世通りの老舗きびだんご屋「みなみ」。観光客でごった返す商店街で、花柄のシフォンブラウスにネイビーのワイドパンツという装いで、笑顔を浮かべながら接客するひとりの女性。アラフォーとは思えないキュートさである。
「若さの秘訣ですか? 朝ランのおかげかな。毎朝起きたらすぐに5キロ走るんです。この商店街って距離がちょうど250メートルなんですよ。だから雷門から境内まで10往復! その甲斐あってか、体形は20歳の頃と変わっていません」
元気いっぱいに話す佐野成美さんは、高校時代に「下町小町」オーディションで特別賞を受賞。天神プロモーションにスカウトされ、2004年に「メトロンジャー」の銀座オレンジ役に抜擢された。女性誌のモデルとして当時一世を風靡していたエビちゃん顔負けのファッション・センスで小中学生を中心に人気を獲得したが、番組後半は一転してショッピング中毒に苦しむ迫真の演技が評判を呼んだ。
「OL生活なんて送ったことがなかったから、役に入り込めなくて大変でした。そもそも生まれも育ちも浅草の、きびだんご屋の娘ですから。両親はわたしが無駄使いするとカンカンに怒る人だったので、ショッピング中毒なんかなりたくてもなれなかったし。手探りのまんま1年経っちゃった感じでしょうか。ふふふ」
番組終了後は「王様のブランチ」のレポーターやグラビアで活躍したが、4年前に会社経営者と結婚、芸能界を引退した。悠々自適のマダム暮らしかと思いきや……。
「父が亡くなったすぐあとに母が病気で要介護になって。実家の経営を引き継いでみたのですが、家賃があがったら確実に潰れる状態でした。しばらく悩んだのですが、江戸時代から代々続いてきた家業ですから、何とか立て直そうと決意しました。夫の理解もあって、昼間はお店で働きっぱなしです。ファンの人にはよく来てもらって助けられています。「メトロンジャー」は海外でも放映されていて、今も人気があるんですよ。この前は台湾からわざわざ来てくれた女の子が、日本語で書いたファンレターをくれて、うれしかったな。やっぱりお洒落したいって気持ちとその罪悪感って、時代も国境も超えるんですね」
仲見世通りきってのお洒落美女として、佐野成美はいまだ健在だった。
佐野成美の連絡先を角松直樹はガンとして教えてくれなかったが、彼女は元芸能人である。近況をネットでサーチしたところ、すぐに3年前に夕刊紙に掲載された記事が見つかった。続いて「仲見世通り みなみ」でググってみると、この手の老舗には珍しいインスタグラムのアカウントがある。最終更新日は4日前。「みなみ」は現在も潰れずに営業していた。管理しているのは、佐野成美本人のようで、たまに自撮りもしている。「メトロンジャー」時代の凝った巻き髪から、外ハネボブにヘアスタイルは変わっていたものの、顔の造作はあの頃から時間を止めたのかと思うくらい変わっていない。
緊張しながら「みなみ」のインスタグラムのアカウントに「角松正樹さんの未収金についてお話ししたいことがあります」とメッセージを送った。翌日、返事があり何回かやりとりをした後、浅草で彼女と面会するアポが取れた。それが今日だった。
表参道、日本橋、上野と、名だたるスポットを走破する地下鉄銀座線の終点が浅草である。地上にあがって目抜き通りを直進すると、すぐに巨大な提灯がぶら下がっている門に出くわす。雷門だ。東京を象徴するスポットのひとつだからだろう、世界各地からやって来た観光客が、マスク無しで自撮り撮影をしている。少し前には想像すらできなかった光景だ。
門をくぐると、浅草寺の境内へと至る参道の両側には、土産物店や和菓子店がスシ詰め状態で並んでいる。仲見世通り商店街だ。店の数は90あまり。殆どが10平方メートルから20平方メートルと店舗面積が極端に小さい。江戸時代前期に地元住民が浅草寺の境内や参道の清掃を行う代わりに営業特権が与えられたのがこの商店街の始まりと言われている。店の狭さは江戸時代以来のレガシーなのだ。
明治維新後、建物は東京都に管轄を移されたが、震災や空襲で焼けた建物の再建をそれぞれの店が自腹を切って行った経緯もあり、東京都は家賃の値上げを控えた。このため仲見世商店街は大正〜昭和を通じて模造刀や法被といった「ここにしかない怪しげなもの」を売り続けることが出来たのだった。
だが平成の終わりにこうした状況に変化が起きた。建物を東京都から購入した浅草寺が、それまで10平方メートルあたり月1万5千円という破格の安さだった賃料を、周辺相場並みに値上げしようとしたのだ。商店街は反発したが法律上は勝ち目がなく、協議の結果まず10万円に値上げし、最終的に25万円まで上昇することになった。佐野成美がインタビューで「家賃があがったら確実に潰れる状態」と語っていたのは、この将来的な値上がりを指していたのだろう。
この仲見世商店街の賃料問題については、リバタリアンだらけのネット界隈はもちろん、周辺商店街の店主たちも全く同情していないようだが、個人的には浅草の存亡に関わるのではないかと危惧している。「ここにしかない怪しげなもの」を売る店の代わりに高級ブランドやどこにでもあるチェーンストアが並ぶようになったら、この街は自らのDNAを否定することになる。明治時代にあえて山手線の駅の開設を断って以来、オルタナティヴを志向し続ける盛り場。それが浅草なのだから。
目的地の「みなみ」は雷門から入ってすぐの場所にあった。それなりに賑わっていたのでホッとする。店頭を覗くと、エプロンがけをした学生バイトたちに混じって、私服姿で忙しそうに接客している女性がいた。佐野成美だ。かつて銀座オレンジを推していた個人的な評価を差し引いてもオーラを感じる。
「佐野さん」
俺が声をかけると、彼女は小走りで店から出て来た。
「アルゴンキンの町尾さんですね。あいにくですけど、中は狭いのでよそに行きませんか」
そう言うと佐野成美はスタスタと歩き出した。たしかに10平方メートルから20平方メートルの店内に倉庫とロッカールームを作ったら、それ以外のスペースなんて設けられるわけないか。彼女についていこう。佐野成美は、俺がいま来た道を戻るように歩いていくと浅草駅を通りすぎ、吾妻橋の手前で赤い手すりの階段づたいに隅田川の河岸へと降りていった。
川向こうには、ビール・ジョッキを模した黄金色のアサヒビールの本社ビル、さらにその向こう側には東京スカイツリーがそびえ立っている。水辺には流線型をした半透明のボートが浮かんでいた。ここから浜離宮を経由してお台場まで行く観光船だ。前職の旅行代理店時代、この便をよく使わせてもらったものだ。東京湾をクルーズしながら「江戸と呼ばれていた時代の東京には河川に加えて無数の堀が巡らされていて、陸路以上に交通路の役割を果たしていました。そういう意味で江戸はロンドンやパリよりもヴェニスに近い都市だったのです」などと説明すると、海外からの観光客は感心した表情を浮かべていたものだ。
「それで正樹のツケは幾らなのですか?」
名刺を渡した途端、佐野成美が俺の眼をまっすぐ見ながら訊いて来たので、俺は気まずそうに答えた。
「645万3400円になります」
彼女はため息をつきながら、ひとりごとのように話した。
「それならなおさらあの家を何とかしないと」
「松濤のお宅のことですか? 失礼ですが、角松家はかなり潤沢な資産をお持ちと伺っていたのですが」
「お義父様の代で運用に失敗したとかで、財産といえるものはもうあそこだけなんです。わたし、正樹と結婚する時も『うち本当に何もないけど大丈夫?』って念を押されたほどだったんですよ」
夕刊紙の記事を読んで、てっきり玉の輿に乗っていたとばかり思っていたが、事実はずいぶん異なっていたようだ。
「角松正樹さんが一時期週3のペースでアルゴンキンに通われていたのは、ビジネスチャンスを得るためだったんですね」
「正樹は事業を何とか持ち直そうと頑張っていましたから。それなのにコロナに罹ってあっけなく死んでしまって」
角松直樹の死因はコロナだったのか。日本においてこれまでコロナが原因で亡くなった人は累計7万3000人あまり。そのうちの大多数がお年寄りだが、四十代でも600人以上が亡くなっている。決して少ない数字ではない。
「それは大変でしたね」
佐野成美はやんわりと否定するように笑みを浮かべた。
「一番悔しいのは正樹なんじゃないでしょうか。直樹さんやお義母様をずっと心配していましたし。そういえば町尾さんはお義母様とは会ったのですか?」
「ええ」
「元気そうでしたか」
「元気かと言われても……なかなか強烈なキャラクターの方でしたけどね」
俺の正直な感想を聞くと、佐野成美は憂いをおびた表情になった。
「やはりそうなんですか。正樹の話だと、年々気性が激しくなっていったみたいで。でも世間体を気にして治療を受けようとしなかったそうなんです。お義母様は他人と会うときは気を張っているけど、本当は日常生活に支障をきたすくらいになっていて。わたし、あの家を処分できたらお義母様が安心して暮らせるようにどこか良いケア付マンションに入れてあげたいんです。正樹もそれを望んでいたと思うし」
俺は感心してしまった。銀座オレンジこと佐野成美は銀座線の駅にたとえると人情に厚い、まさに浅草のような人だった。
「もし松濤の家が大切な財産だとしたら、正樹さんは遺言を残していたと思うのですが」
「いいえ。デスクや貸金庫の中も探したのですが何も見つかりませんでした。まさか本人もあの若さで死ぬとは思っていなかったんでしょうね」
そのとき、俺の脳裏に角松正樹の母親の言葉が浮かんだ。
「成美さんったら今でも自分がこの家の持分の6割を持っていると勘違いしているのよ。もう4割まで減ってしまったのにね」
佐野成美に確認してみるか。
「正樹さんはあの家の権利の6割をお持ちになっていたと聞きましたが」
彼女は答えた。
「司法書士の先生から教えてもらったんですが、とても中途半端な数字だったから覚えています。正確には正樹の持分は61%です。お義母様は残りの39%」
「確かにおかしいですね。60%と40%にすればいいのに」
「亡くなった正樹のお義父様の遺言状にそう書いてあったので、従ったそうです。お義父様もお義母様の病状をずっと心配されていたと、正樹から聞きました」
「その正樹さんの遺産があなたとお義母上に再配分されて比率が再逆転したわけですね」
「はい。手続き自体はまだ終わっていないのですが、そうなると聞いています」
「亡くなる前、正樹さんは何か言い残さなかったのですか」
「病室への立ち入りは禁止されていたので、彼の最期には立ち会えなかったんです」
コロナ患者についてそうした対応がずっと行われ続けていたことを俺は思い出した。つまりこの3年間、親しい人に看取られずに亡くなった人が7万3000人いるわけだ。
「そうでしたね。申し訳ございません」
「いいえ。看護師さんから聞いた話だと正樹は「タワレコの前」ってうわ言を繰り返していたそうです。あとで直樹さんに訊いたら、渋谷のタワーレコードのことじゃないかって。タワーレコードになる前、あの建物はおもちゃ屋さんだったんですって。
角松家を訪ねたときに話題に出ていた「Pao」のことか。
「その店の話、わたしも直樹さんから伺いました。正樹さんは『ぼくは何もいらないよ、欲しいものはぜんぶあるから』って言うようなお子さんだったらしいですね」
「でも本当はそのお店で何かほしかったのかもしれませんね」
そう言うと、佐野成美は悲しそうに笑った。
佐野成美は、家を処分できたら必ず未収金を支払うと約束してくれたが、いつのことになるかわからない。処分する、しないで家族間で争っているうちに、正樹の母親の病状はどんどん重くなっていくだろう。それにしても角松直樹も困っているだろうに、何故母親をケアマンションに入れようとはしないのだろうか。
「まもなく終点、渋谷に到着します」
車内アナウンスがそう告げた。浅草から銀座線に乗り込んでしばらく考えごとをしていたら、降りるはずだった銀座をすっ飛ばして終点まで来てしまったようだ。せっかくだから渋谷の街をひと周りしてから帰るか。
銀座線の渋谷駅は地下鉄駅でありながら地上3階の高さにある。それは渋谷が通常の「地下」の概念よりさらに深い谷底に作られた街であることを証明している。改札を出てエスカレーターで宮益坂下の交差点に降り立つ。俺はそこから明治通り沿いを北上して原宿方面へと歩いていった。
通りの左側には、崩壊した未来都市のようなデザインの「ミヤシタパーク」が視界を塞ぐように建っている。渋谷川を埋め立てた人口地盤の上にあった区立宮下公園を、さらに建物屋上に移転して作られたショッピングモールだ。テナントにはルイ・ヴィトンやグッチといったラグジュアリーブランドのショップが入っている。ふと俺は思った。仲見世商店街もいずれはこのような商業施設に姿を変えてしまうのだろうか。
最初の交差点で左折して山手線の高架をくぐると、タワーレコード渋谷店の黄色いビルが見えてくる。角松家の人々から教えられた「Pao」については、銀座線に乗っている間にリサーチ済みだった。
東急東横店から東急本店に至る文化村通りを軸に、大人相手の商売を行なってきた東急グループに対抗して、西武百貨店やパルコ、ロフトを公園通りにオープンして若者たちを惹きつけていたセゾン・グループが客層を幼児まで広げようと1992年、この場所にオープンしたのが「キッズファーム・Pao」だった。しかし景気悪化によってわずか3年後に閉店。その跡地に宇田川町から移転してきたのが、タワーレコード渋谷店だった。
Paoのイメージカラーが偶然同じ黄色だったこともあり、タワーレコードは建物の改装を最小限にとどめた。タワーレコードの店内トイレの一部には今も極端に小さい便器が置かれているのだが、それは「Pao」オープン時に店内に設置された幼児向け便器の名残りなのだ。
俺は、タワーレコードの入り口から周囲を見渡した。モディ、ニトリ、渋谷神南郵便局が入ったオフィスビル。何てことのない、いつもの渋谷の光景だ。そのときとつぜん豪雨が降りはじめた。天気予報ではずっと晴れだったはずなのに。いつ止むのだろうと早春の空を見上げようとしたとき、俺は気がついた。そういうことか。
PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク