インナー・シティー・ブルース シーズン3長谷川町蔵 著第二十二話:リヴィング・フォー・ザ・シティ 前編(南北線)

 毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!

【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、世間でも評判の良い人気政治家の武山順太郎。早速連絡をとると、武山が指定してきた場所は、なぜか赤羽だった。「赤羽納涼フェスタ」で待ち合わせして、挨拶を済ませると、立ち飲み屋へ移動し、そこで武山はあっさり未収金を全額現金で支払う。しかしその後、武山はある相談事をマワローにもちかけてきて───。

 「狸穴(まみあな)ってご存知ですか? タヌキの穴と書いて、そう読むのです」
武山順太郎は、ビールジョッキを片手に持ちながら、俺にそう言った。
 

武山順太郎(たけやまじゅんたろう、1966年〈昭和41年〉2月4日〜)は、日本の政治家。衆議院議員である。(Wikipediaより)

 世間における彼の評判はめっぽう高い。二世議員でも官僚出身でもない出自、高校を中退して大検で大学に入学した学歴、バブル真只中で就職がイージーモードだったにもかかわらず、自分探しのために世界放浪の旅に出るといった生き方が人を惹きつけるのだろう。
 政治の道に入ったきっかけは、市民運動に関わっていた時に、数合わせで「真自由連合」の公認候補として出馬させられたことだった。元々は泡沫候補だったはずが新党ブームに乗って当選。直後に真自由連合が自認党と連立を組んだために政権与党入り。2年後には同党が吸収合併されたために、彼は政治信条が正反対の自認党員になってしまった。
 このため武山ほど自認党員らしくない政治家もいない。一貫して原発廃止を訴え、同性婚にも女性天皇にも賛成しているのだから。党の上層部からは睨まれているものの、「精神的にはパンク」を公言する彼に傾倒する若手議員も少なからずいると聞く。
 そんな人気政治家が、俺とサシで酒を飲んでいるのは、例によって「アルゴンキン」の未収金回収がきっかけだった。彼の事務所に46万3560円の未収金の存在を伝えると、本人から直接「次の土曜に赤羽までお越しくださいませんか」との返信メールが届いた。島根3区選出の彼が、なぜ城北の飲み屋街に俺を呼びつけたのか。何でも仲良くしている都議から「赤羽納涼フェスタ」に誘われたかららしい。
 8月の日曜の午後、久しぶりに訪れた赤羽は、いい意味で全く変わっていなかった。東京の盛り場はジェントリフィケーション化が著しいけど、ここになら部屋着で出かけられそうだ。スズラン商店街の名所である演歌専門レコードショップ「赤羽美声堂」のインストア・イベントに押しかけるお年寄りの風情なんか昭和の昔から変わっていない。小学校の校庭で開催されていた「赤羽納涼フェスタ」もまた然り。俺が着いた時にはフラダンス大会が開かれていたけど、夕方からは盆踊り大会に模様変えするらしい。
 仮設テントの中で俺を待っていた武山順太郎は、ポロシャツにスラックスというサラリーマンのカジュアル・フライデー的な出立ちだった。お洒落とは言い難いけど、加齢臭がしないだけでも自認党議員としては先鋭的といえる。笑顔を浮かべたためにトレードマークのタレ目がさらに垂れ下がる。顔が真っ黒に日焼けしているのはこの夏、仲間の応援演説に飛び回っていたからだろう。
 「はじめまして。アルゴンキン・マネージャーの町尾回郎(まちお・まわろう)と申します」
 俺が名刺を渡すと、彼も「衆議院議員 武山順太郎」と書かれた厚みのある名刺をくれた。そして周りの人間に少しの間、中座したい旨を告げると、俺を駅前の1番街の立ち飲み屋に誘ったのだった。
 「ここには車で?」
 武山に訊かれたので、俺は答えた。
 「地下鉄です。南北線の赤羽岩淵駅から歩いてきました」
 「それは申し訳なかった。僕の事務所は同じ南北線の永田町にあるんだ。でも事務所でお金を払うのもおかしな話だしね。アルゴンキンには個人として通っていただけで、飲み代は議員活動扱いにはできないから」
 この言葉だけで、武山順太郎を信頼したくなる。これまでツケ回収のために何人かの政治家に会ったけど、誰もが文書通信交通滞在費や立法事務費から支払おうとしていた。このふたつを合わせると支給額は月額165万円にものぼる。出どころはすべて税金だ。それなのに報告義務はなく、非課税扱いなのだ。
 「ここでいいですか」
 武山はそう言うと「立ち飲み なごみ本店」と書かれたのれんの中へとくぐっていった。まだ陽は高いのに結構な賑わいだ。客は高齢の男性ばかり。店内はリノリウムの床に漆喰の塗り壁という素朴な作りで、料理名を手書きした紙が至るところに貼られている。紙はどれも薄茶色に変色していて、どれだけ前に貼られたのか分からない、こういう場所に政治家が現れると、どうしてもわざとらしさが漂うものだけど、武山順太郎はすんなり馴染んで見えた。
彼は慣れた様子で生ビールとおつまみを幾つか注文すると、サコッシュから封筒を取り出して俺に手渡した。確認すると、中には紙幣と硬貨が入っている。数えてみると46万3560円ぴったりだった。
 「ありがとうございます」
 「いいえ。こちらこそ長年支払わずに申し訳ない。回収は順調なのですか」
 「ええ、何とか。全員が武山先生みたいだと助かるんですが」
 武山は意外そうな表情を浮かべる。
 「僕みたいじゃない人間ってどういう人たちですか? やっかいな相手から取り立てた経験がおありとか?」
 「アルゴンキンは格式のあるバーなので、相手自体の素性が怪しかった事例は少ないですね。まあ回収を通じてその手の人たちとやりとりした事はありますけど」
 「もしご存じだったら教えて頂きたいんですが……」
 

 ここで話は冒頭の「狸穴」を巡る会話へと移る。
 「ああ、たしか港区にある町ですよね。具体的にどこにあるかまでは知らないのですが。その狸穴で何があったんですか」
 俺の質問に、武山が答えた。
 「そこに『コープ狸穴』という名前の古いマンションがあるんですよ。僕が一時期、事務所用に部屋を借りていまして。その所有者の方とは今も親しくお付き合いしているのですが、最近その方が不動産会社から『買い取りたい』としつこく付きまとわれて困っているらしいんですよ」
 「港区の物件は人気ですからね」
 「それが普通の不動産会社じゃないようなんです。社員は皆、不動産の営業マンというより半グレに見えるらしくて。ほかの部屋のオーナーの何人かはすでに買取りに応じたらしい。なのに……」
 「何があったんですか」
 「社員たちが出入りしているだけで、いっこうに転貸しないそうなんですよ。おかげでマンション全体の雰囲気が悪くなってしまったそうで」
 「典型的な地上げですね。なんて名前の会社ですか?」
 「ケイブ・エステート・サービスという会社です。僕もインターネットで調べてみたのですが、どこにも名前が載っていなくてね。いま町尾さんから話を伺って、ひょっとしてご存じかなと思いまして」
 俺は思わず吹き出してしまった。
 「武山さん、嘘はおっしゃらないでください。もともと私を呼んだ時点で尋ねてみようと思っていたんじゃないですか?」
 武山は苦笑いした。
 「申し訳ない。恩人だから何とかしてあげたいと思っていたんだが、忙しくてそれ以上調べられなくてね」
 「私を赤羽まで呼びだしたのも何か理由がおありなんですか?」
 「正直言うと、永田町ではどの店にいても必ず誰かが利き耳を立てているんですよ。こちらにはやましいところなんかないけど、余計な事を勘ぐられて足を引っ張られるのは苦手なんでね」
 なるほど。世間での人気が、政治家たちの間ではやっかみの種になっているわけか。
 「わかりました。何か分かったらご連絡します」
 その話はそれでお終いになり、武山とは30分ほどビールを飲みながら雑談をして楽しいひと時を過ごしたのだった。

 翌日、俺はセヴェリ春香に電話をしてみた。
 「マワロー、ひさしぶりじゃない!」
 別の案件がきっかけで知り合った彼女は、六本木に拠点を置くネペンタ不動産のオーナーの娘である。俺は武山の名を伏せたまま、コープ狸穴の地上げ工作について何か知らないか訊いてみた。
 「その地上げにパパが絡んでいるって考えているわけ?」
 春香の父ミカエル・セヴェリは、都内有数の半グレ集団「Cボーイズ」の相談役を務めているアンダーグラウンド界の顔役なのだ。
 「さすがにそこまで都合の良い話は期待していませんよ」
 「うーん、でもその話、聞いたことあるんだよね。山王勉って知ってる?」
 どこかでその名前を聞いたことがある。そうだ。元総会屋で、政界と企業を取り結んでいるフィクサーだ。
 「名前だけなら」
 「2年前くらいかな。その人からパパに久しぶりに会いたいって連絡があった。わたしも同席させられてさ。ほら、山王のじっちゃんはわたしが小さい時から知っているから、せっかくだから顔が見たいとか何とか言いだしたらしくて。別にわたしってそういうのは苦手じゃないからね。でも世の中にはいるじゃない。親戚でもないお年寄りなんか姿を見るのもイヤって子が……」
 セヴェリ春香の話はどこまでも脱線していく傾向がある。軌道修正しなくては。
 「それで山王勉はお父様に何の話をしたんですか?」
 「それがコーポ狸穴の地上げに協力してくれないかって話だったってわけ。わたしにはそんな難しい仕事には思えなかったんだけど、パパはなぜか色々理由をつけて断っていた。あの人がオッケーを出さない限り、Cボーイズは不動産関係の仕事には手を出さないことになっているから、今それに関わっているのは別の人たちだと思う」
 「情報ありがとうございます」
 「それはそうとマワロー、また飲みにいこうよー」
 「いまちょっと仕事が立て込んでいるんで、またこちらから電話しますよ」
 俺は通話を一方的に切ると、別のところに電話をかけた。
 「マワロー、何の用?」
 囲間楽(かこいま・らく)は最近とても忙しそうにしていて、アルゴンキンに顔を出しても留守のことが多い。今日も屋外で何かしているようだ。俺は、これまでの経緯を手短に説明した。
 「狸穴かー。で、Cボーイズが絡んでいないって話は、春香に訊いたんでしょ。最近あの子と仲いいよねー」
 囲間楽がからかう。彼女とセヴェリ春香は飲み友なのだ。
 「前も話したじゃないですか。一回バーで飲んだだけですよ。その時もほかの客に聞こえるくらいの大声で危ないエピソード・トークをするからヒヤヒヤしちゃいましたよ」
 「それでわたしにも何か訊きたいわけ?」
 「Cボーイズ以外にそんな仕事が出来そうな集団の心当たりがないですか?」
 「知っているけど、教えない」
 「えーっ、何でですか」
 「だって武山順太郎の未収金はもう回収したわけだから、完全に業務範囲外じゃない。それに……」
 「それに?」
 「マワローがどこまで突きとめられるか興味があるから」
 仕方ない。ひとりで何とかするか。
 「わかりました、楽さん。あとで答え合わせをお願いしますね」
 そう言って電話は切ったものの、途方に暮れてしまった。囲間楽、正確には彼女の腕利き執事のリサーチなしで真相にどれだけ近づけるか自信がない。
 あれこれ考えてみたものの、何も思い浮かばない。とりあえず現地を見に行ってみるか。グーグルマップで、武山順太郎から教えてもらったコープ狸穴の住所を確認し、銀座から銀座線に乗りこむと、溜池山王駅で南北線に乗り換えて麻布十番駅で下車した。ホームから地上に出て、首都高の高架下に沿って北上する。結構な上り坂だ。それにしても日差しが強い。子ども時代とは別の国にいるようだ。
 汗だくになりながら、交差点を右折して外苑東通りへと入る。グーグルマップを見ながら歩いていると、前方に「キャンティ」の看板が見えた。そうか、狸穴って飯倉の目と鼻の先にあったんだ。
 キャンティは、1960年代の東京のサロン文化の中心として名を馳せ、現在も営業中のイタリアン・レストランである。現住所は麻布台だが、開店当時の町名は麻布飯倉片町だったため、現在も「飯倉片町本店」を名乗っており、この一帯を今でも「飯倉」と呼んでいる人は多い。
 飯倉に限らず、麻布には今では失われてしまった町名が沢山ある。江戸時代以来の歴史を持つこのエリアにはかつてそれぞれ名前に由緒と伝統を持った小さな町が幾つも存在していたが、東京オリンピック前に町名の統廃合が行われて殆どが無くなってしまったからだ。だから外苑東通りから南へと伸びる狸穴坂沿いに50メートルほどの幅で張り付くようにひっそり存在している麻布狸穴町は例外的な町といえた。
 目的地のコープ狸穴は、狸穴坂の終点に設けられた小さな公園に面して建つ4階建てのヴィンテージ・マンションだった。郵便受けを覗いてみる。壁面には小さなステンレス製のポストが格子状に並んでいるが、名札が入っていないものも多い。それは一定数の住戸が地上げされている事実を物語っていた。
ケイブ・エステート・サービスの買収工作がどのくらい進んでいるか、具体的に調べられないだろうか。そう考えながら廻りを見渡すと、思わぬ建物が視界に入ってきた。東京法務局港出張所。港区の不動産や企業の登記情報を取り扱っている公共施設だ。コープ狸穴の登記簿を漁れば何か分かるかもしれない。出張所に足を踏み入れて、不動産登記のコーナーに行く。
 「この建物の所有者を全員知りたいのですが」
 そう尋ねると、係員が備え付けの地図で地番を確認してくれた。あとはその地番を申込書に書いて手数料を支払えばいい。約20分後、俺はコープ狸穴の全所有者の情報を手にしていた。
 目の前にあるカフェに駆け込んで、エアコンで涼みながら、受け取った紙の束をテーブルの上に置いて一枚一枚確認してみる。
 マンションの住戸数は32。うち21戸の所有者はバラバラで、残り11戸の所有者が同一だった。名義は合同会社ドリームヒルズ企画。ケイブ・エステート・サービスとは別会社だが、設立は2年前。何より本社の登記がコープ狸穴と同じ住所で行われているのが怪しい。念のためにこの会社の登記情報も調べておこう。
 「仕事の電話をかけたいんで、ちょっと外に出ます」
 俺はカフェの店員にそう告げると、リュックを掴んでダッシュで法務局へと戻り、今度は法人登記のコーナーに行き、ヒルズ企画の登記情報の提供を申し込んだ。15分後、俺は再びカフェのソファーにプリントアウトされた紙を手にして座っていた。
 合同会社は、有限会社と比べて登記事項が少なくて済むものの、それでも代表社員の名前は必ず登記されている。山王勉は仕事柄、公式な書類に名前を出すのは嫌がるだろうから、彼に仕事を依頼した人物の名が登記されている可能性が高い。
 ペーパー・カンパニーの代表社員として記されていたのは、意外な人物だった。我孫子明。広告界の大物クリエイターだ。カフェから外に出て、狸穴坂を登って外苑東通りへと戻ろうとした時、俺は通りの向こうに見慣れない高層ビル群がそびえ立っていることに気がついた。
「あれが麻布台ヒルズか。とうとうオープンするんだな」
 麻布台ヒルズは30年以上の歳月をかけて完成した、オフィスやショッピング・ゾーン、高級賃貸住宅から成る都市再開発プロジェクトである。住所はキャンティと同じ麻布台なのだが、キャンティが飯倉片町にあったように、かつては我善坊谷町(がぜんぼうだにちょう)という地名だったそうだ。その名の通り、小さなアパートや個人商店が建ち並ぶ窪地だったらしい。
 再開発計画が持ち上がったのは、六本木ヒルズとほぼ同時期のバブル初期。以来、土地所有者との間に買取りや等価交換の交渉が粘り強く進められ、平成の終わり頃になって都市計画が正式決定された。この決定を受けてエリア内にあった区道はすべて廃止され、我善坊谷は埋め立てられて東京から消滅した。そして数年後、「谷」は「丘」へと姿を変えたというわけだ。
 港区内最大にして最後であろう大型再開発プロジェクトと、コープ狸穴で進む工作は何か関係があるにちがいない。まだ何の証拠も得ていないにもかかわらず、俺はそう確信した。


『インナー・シティ・ブルース』発売記念

『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:前編
『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:後編

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters

2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税

著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク