インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第二十三話:リヴィング・フォー・ザ・シティ 中編(南北線)

illustration_yuriko oyama

インナー・シティー・ブルース シーズン3
長谷川町蔵 著
第二十三話:リヴィング・フォー・ザ・シティ 中編(南北線)

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 毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!

【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、人気政治家の武山順太郎。早速連絡をとると、武山はあっさり未収金を全額現金で支払う。しかしその後、武山は麻布狸穴町にある古いマンションの地上げについてマワローに話し始めて───。

 後楽園駅の周辺には、ここにしかない風景が広がっている。都心なのに空が広い。ペデストリアン・デッキを渡った向こう側には、不時着したUFOのように見える銀色の東京ドームが存在感を放つ一方で、こちら側にはジェットコースターのレールを支える巨大な鉄の構造物がそびえたっている。サンダードルフィンと呼ばれるそのジェットコースターは、駅舎と一体となったアトラクション施設「ラクーア」のビル屋上まで一気に駆け上がると、急落下して、巨大な観覧車「ビッグ・オー」の中心をくぐり抜けるトリッキーなルートで、このエリア内を疾走していた。
 読売ジャイアンツのホームゲームが行われるせいか、改札から出てきた多く人々の足は東京ドームへと向かっていく。でも俺は直進を選ぶと、サンダードルフィンのレールの高架下沿いを歩いていった。そのまま正面階段を降りて、床に人工芝が敷き詰められたオープンスペースに到着する。
 オープンスペースの左手にはイベント・ステージが設置され、右手にはラーメン屋やカフェが並んでいた。ユニークな形のカラフルな椅子があちこちに置かれ、カップルや家族連れが談笑したりひと休みしたりと、思い思いの時間を過ごしている。まるで日曜の夕方に遊園地の中にいるみたいだ。というか実際、今は日曜の夕方で、ここは遊園地の中なのだが。
 かつて首都圏随一の遊園地とみなされていた「後楽園ゆうえんち」が、1980年代に浦安に上陸した「例の施設」との競争に敗れて「東京ドームシティアトラクションズ」に改名したのは、2003年のことだった。このとき運営会社は賭けに出た。敷地への出入りを自由にして、アトラクションでだけ料金を取る形式に変えたのだ。賭けは大当たりして、東京ドームシティアトラクションズはアーバン・アミューズメント施設として賑わう人気スポットに返り咲いたというわけだ。そのためオープンスペースの混雑ぶりは相当なものだったけど、俺は何とかイベント・ステージの右手に植えられた高木の根元が空いているのを見つけると、そこである男を待ち始めた。
 男の名は、我孫子明。広告界のビッグネームでありながら、麻布狸穴町のマンション「コーポ狸穴」の地上げを主導している疑惑がある人物だ。ここまで辿り着くのは、ひと苦労だった。なぜなら彼は「アルゴンキン」にツケがないため、未収金回収係の俺に会わなければいけない理由がないのだ。
 我孫子のオフィスに電話しても冷たく不在を告げられ、ホームページにメールをしても返信がない。どちらもアシスタントの管理下にあり、俺を怪しむあまり本人に取り次いでいないのだろう。これまで俺は色んな大物がいる場所に顔パス状態で入り込めたわけだけど、すべてアルゴンキンの伝統とネームバリューあってのものだった事実を今さらながら痛感した。
 何か直接会うきっかけがないものか。我孫子明の「X」を眺めたところ、後楽園の駅ビルに入っている書店で、彼の新刊『シン・仕事嫌いにしか出来ない裏技仕事術』の刊行を記念してトークイベントが開催されるらしい。俺は強硬手段に売って出た。一般客として、座り心地が最悪なパイプ椅子で、他人には応用の効かない我孫子の自慢話を1時間以上聞き、読みたくもない新刊本を買い、サインの列に並んだのだ。そして「お名前は?」と訊かれたとき、自分の名刺を黙って手渡した。その名刺にはあらかじめペンでこう書き添えておいた。
 「麻布狸穴町のマンションの件でお尋ねしたい。遊園地のイベント・ステージのそばでお待ちしています」
 名刺を見た瞬間、我孫子明の眉が小さくぴくりと動いたのを、俺は見逃さなかった。
 我孫子明がやって来たのは俺が待ち始めてから30分ほど経過してからだった。白の無地Tシャツに黒いワイドパンツ、顔にあご髭を生やし、白髪混じりの髪の頭頂部を伸ばして後ろで結えている典型的な業界人スタイルだ。一張羅のスーツを着た俺とのツーショットは、日曜日の遊園地では浮きまくっている。でも俺はあえてこの場所を選ぶことで、我孫子に危害を加えたり脅迫する意図がないことを伝えたかったのだ。
 「どんな話かな」
 我孫子がフランクな口調で単刀直入に尋ねてきたので、俺は答えた。
 「名刺に書いた通りです。港区の麻布狸穴町に、コープ狸穴という古いマンションがありますよね。知人がその一室を所有しているのですが、不動産会社から売却をしつこく迫られて困っているそうなのです。不動産会社の名前はケイブ・エステート・サービス。そこが仲介したのでしょう、この5年間で32戸のうち11戸の所有権が別の会社に移されています。合同会社ドリームヒルズ企画、あなたが代表社員を務める会社です」
 「たしかに僕の会社だけど。広告屋がマンションの部屋を持っていると何か問題になるのかな?」
 「もちろん不動産を所有するのはご自由です。でも山王勉みたいな人と組んで、地上げまがいの買収をやるのはいかがかと思いますけどね」
 我孫子明は何も言わなかったものの、眉はさっきよりも大きくぴくぴく動いている。動揺しているのだろう。俺は話し続けた。
 「別の仕事を通じて偶然、あなたと山王勉が麻布十番の会員制バー『アモーレ』で同席されている写真を見たんです。おそらくその時ですよね、あなたが彼にコープ狸穴の地上げに力を貸してほしいと頼んだのは。申し出を引き受けた山王は、まず都内有数の半グレ集団Cボーイズに支援を頼んだ。彼らならもっと上手くやったでしょう。でも断られたので別の半グレ集団と組んだ。ところが彼らのやり方があまりに雑だったために、悪い噂が色んな人の耳に届き始めています。あなたのような有名人が関わっていていいものなのでしょうか?」
 我孫子明は「ぜんぶ知っているのか」という表情をすると、開き直ったように話し始めた。
 「たしかにぼくはそこそこ有名人だ。さぞ儲かっているんでしょうって言われるよ。でも実際は人が思うほどじゃない。商品のコピーやブランディングじゃ所詮限界があるからね。本はたくさん出しているけど、部数なんてたかがしれているし。結局、自分は後世に残るような仕事をしないで死ぬんだな。そう悩んでいたときに思いついたのが、ドリームヒルズ計画だったんだ」
 「なぜ狸穴を選んだんですか?」
 「土地勘があるからだよ。広告代理店を辞めて独立した90年代半ばに、最初にオフィスを構えたのがコープ狸穴でね。今もそうだけど、日用品を買える店が少なくてね。外苑東通りの向かい側にある我善坊谷(がぜんぼうだに)まで買い物に行くようになった。そのとき店の人から、森ビルから土地を売って欲しいって声をかけられている話を聞いて、麻布台ヒルズの開発を知ったんだ」
 「ずいぶん前から知っていたんですね」
 「ずっと頭のどこかで気にはなっていたけど、何も行動していなかった。でも今から5年前、麻布台ヒルズの都市計画が正式に発表された時、あれって思ったんだ。なんでこんな『穴』がある計画にしたんだろうって」
 「穴」って一体なんだ? 俺の疑問をよそに我孫子はペラペラ話し続ける。
 「ぼくみたいな人間はさ、六本木の近くだから狸穴に部屋を借りているわけ。ぼくだけじゃない、大抵の人間はそうだと思う。つまり麻布台ヒルズのメインストリートは外苑東通りであるべきなんだ。それなのに路面店が並んでいるのは何故か神谷町側ばかりなんだよ」
 そうか、人通りが多い麻布台ヒルズの外苑東通りを挟んだ反対側に、計画の穴を補完するショッピング・モールを自らのコンセプトでクリエイトする。それが我孫子明の「夢」だったんだ。
 「すでに出資者も集まっていて、通り沿いのビルも買収予定だ。それが完了したら都市計画を東京都に提出する。完成がいつになるかは分からないけど、今なら麻布台ヒルズほど時間はかからないはずだ」
 「でも狸穴は静かな住宅街ですよね。コミュニティの破壊に繋がると批判されそうですけど、どうお考えなんですか?」
 俺の質問に、我孫子は答えた。
「罪の意識なんか抱くわけがない。そもそも東京なんてそういう街だしね。ぼくは青山生まれなんだけど、生まれた家はもう残っていない。最初の東京オリンピックのための道路拡張で立ち退きになっちゃったからね。青山だけじゃなくて港区全体が変わってしまった。東京オリンピック以前の地名なんて、ほとんど残っていないし。そういえば君は秋元さんの『雨の西麻布』って曲、知ってる?」
 「秋元さん?」
 「秋元康さんだよ。ほら、秋元さんが詞を書いて、とんねるずが歌った……」
 昭和のヒット曲を特集したテレビ番組で聴いた気がする。
 「あの曲がリリースされたのは80年代半ばだけど、曲調はそれよりもっと前の60年代のムード歌謡風なんだ。ほら、『別れても好きな人』とか。でも二つの曲は全く違う。その理由がわかるかな?」
 「正直分からないですね」
 我孫子明は得意げな顔になった。
 「ムード歌謡を本気で聴いていた世代は、あの街を西麻布なんて言わない。昔の呼び名の霞町って言うはずだ。つまり『雨の西麻布』はあくまでもパロディだって、タイトルだけで分かる仕組みになっているんだ。でも君の世代にはその面白さが分からないだろう? ドリームヒルズはコミュニティを破壊するかもしれない。でも後の世代は、作られた環境こそ自然だと感じるに決まっているんだ」
 俺は嫌悪感を覚えながらも、我孫子のあからさまなまでの欲望の強さに、ある種の畏敬の念を覚えた。こういう類の人々が、東京を現在の形にしたのは明らかだったからだ。
 「次の予定があるから、ぼくは失礼するよ」
 捨て台詞を吐くと、我孫子は足早に駅の方面へと去っていった。彼の姿が見えなくなるのを見届けてから、俺はリュックからスマホを取り出して電話をかけた。
 「武山さんですか? 町尾回郎です」
 電話の相手は、武山順太郎だった。
 「コープ狸穴を地上げしている人物がわかりました。本人も認めています」俺は我孫子明と山王勉について知った事実を、簡単に報告した。

 その翌月のある日の昼過ぎ、仕事に出かける前に、俺はアルゴンキンに立ち寄った。カウンターの中には最近滅多に店に姿を見せなくなった囲間楽が陣取っていて、こんな時間にマティーニを飲んでいる。彼女は俺の顔を見るなり「マワロー、このニュース知ってる?」と言って、手にしたスマホの画面をこちらに見せてきた。画面に映し出されたニュースサイトにはこう書かれていた。
 「広告ディレクター、我孫子明がキャンペーン広告の盗作を認めて引退」
 何かが裏で動き出している。その引き金を引いたのは自分なのかも。まあ、いま悩んでも仕方ないと、俺は気を取り直した。
 今日の訪問先は、本駒込の邸宅に住む一部上場企業の相談役だった。俺は銀座線に乗ると、溜池山王で南北線に乗り換え、本駒込駅で降りた。地上に出て、本郷通りを北上する。約束の時間までまだ余裕があったので、俺は吉祥寺を参拝して時間を潰すことにした。
 前職の旅行代理店時代、「実際はありません」ツアーという企画を提案したことがある。先輩の久世野さんに「ないものを案内してどうする」と突っ込まれて没になったこのツアーは、都立大学が存在しない都立大学からスタートして、東京学芸大学が存在しない学芸大学前、向ヶ丘遊園が閉鎖された向ヶ丘遊園周辺を経由して中央線沿線有数の繁華街、吉祥寺に到着するというものだった。
 吉祥寺に、吉祥寺という名の寺は存在しない。では、どこにあるのか。本駒込にあるのだ。吉祥寺の歴史は、江戸の始まりまで遡る。江戸時代初期は一ヶ月ほど前に我孫子明と会話した東京ドームシティにほど近い、都立工芸高等学校がある場所にあったそうだ。それが1657年の明暦の大火で全焼して、本駒込に移転したのだ。
 ところがすでに住宅が密集していた駒込エリアには、吉祥寺の門前町に住んでいた町民の住まいまでは確保できなかった。そこで江戸幕府は、武蔵野の原野を開墾して住人達を移住して住まわせたのだった。これが街としての吉祥寺の始まりである。このエピソードを不思議に感じないだろうか。そう、相手が町民にもかかわらず、幕府の態度が妙に優しいのだ。これについては都市伝説がある。江戸の人口急増を予想できなかった幕府は、これまでの都市計画をリセットするために自ら街に火を放って明暦の大火
を引き起こしたというのだ。これが事実だとしたら、東京は自ら街を破壊しながら都市改造を繰り返してきたことになる。
 久しぶりに訪れた吉祥寺は、江戸時代に大勢の学僧が漢学を研究していた施設だったことも納得の、広大で静謐な禅寺だった。ちょうど良い時間になったので、本郷通りまで戻ろうと参道を歩いていくと、敷地の出入り口にあたる山門が男たちによって塞がれているのが見えた。男たちの人数は4人。皆ルックスがいかつい。おそらくケイブ・エステート・サービスの連中にちがいない。俺は、奴らに銀座からずっと付けられていたことに今さらながら気づいたのだった。


『インナー・シティ・ブルース』発売記念

『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:前編
『インナー・シティ・ブルース』発売記念・長谷川町蔵1万字インタビュー:後編

PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters

2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税

著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク


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