インナー・シティー・ブルース シーズン3長谷川町蔵 著第二十七話:スタート・ミー・アップ 中編(有楽町線)

毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!

【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回、最後となりそうな標的は、マワローが昔働いていた旅行代理店の先輩であり恩人でもある久世野照生。久世野がラスボスなのか? そんな時、マワローのスマホのショートメールに着信があった。それは久世野からだった───。

もし君が暇を潰したいなら、池袋は最高の街のはずだ。その日の俺の一日も、あっという間に過ぎた。まず11時頃にサンシャインシティに行き、昭和30年代の街並みを再現した「ナンジャ餃子スタジアム」でブランチを食べた。そしてそのままサンシャイン水族館へと向かい、空飛ぶペンギンをぼんやり眺めながら午後を過ごした。本来、空を飛べないはずのペンギンがなぜ飛べるのか。それは頭上に水が流れる透明のチューブが張り巡らされていて、ペンギンがその中を猛スピードで泳ぐ姿が、まるで飛んでいるかのように見えるからだ。この姿は何度見ても見飽きない。
サンシャイン60の展望台に登って、東京の全景を眺めたあとは、サンシャインシティからすぐそばの場所にあるグランドスケープ池袋に足を運んだ。IMAXシアターが入ったシネコンが施設の大半を占めているビルだけど、俺の目当ては屋上のバッティングセンター。いつもは余裕でミートできる速さの球がなかなか打てなかったのには参った。頭のどこかで、囲間楽が自分に課したテストの意味や、彼女のミッションからなぜ久世野照生が降りたのかを考え続けていたからだろう。
部屋に戻ってシャワーを浴び、冷蔵庫の中にあったスポーツドリンクを飲んでベッドに横たわったら意識が途切れた。目が覚めると、壁時計の針は23時30分を過ぎている。それは指定された時間まで30分もないことを意味していた。俺は慌ててクローゼットからダウンジャケットを引っ張り出すと、部屋を飛び出した。今から約束の場所に行くとしたら、池袋駅で有楽町線に乗るよりも歩いた方が時間を短縮できるはず。
俺は、通りを渡って東池袋中央公園の中を直進すると、豊島郵便局の交差点を右折して、首都高5号線の高架に向かって進んだ。左手には東京国際大学の池袋キャンパスが広がっている。創立者の金子泰藏は戦後まもない頃にGHQの専属通訳者として苦労した経験をきっかけに、国際的な人材の必要性を痛感して、この大学を設立したという。そんな大学が、GHQが太平洋戦争の戦犯たちを収容していた巣鴨プリズンの敷地跡に造られたサンシャインシティに隣接している事実に歴史の因縁を感じる。
首都高5号線の高架下まで辿り着くと、今度は高速道路に沿って南側へと進んでいった。しばらく歩いて高架下を潜ると、いちょう並木が並ぶ大通りへと辿り着く。そこはすでに雑司ヶ谷霊園の一部なのだった。但しこの通りは夜間も閉鎖されないため、車両は自由に走れるし、最低限の街灯も灯っている。真夜中の墓場にしてはパブリックすぎる場所だ。但し敷地が10ヘクタール以上にも及ぶため、欅の大木を除けば視界を遮るものが何もない景色は異様と言えるかもしれない。ふと自分がやって来た方角を振り返ると、昼間に登ったサンシャイン60が遠くからこちらを見張っているかのようにそびえたっていた。
 江戸時代は将軍家の直轄地として、薬草や鷹が飼育されていたこの土地が公共墓地となったのは、私有地への埋葬が禁止された明治時代初期のことだった。そんな長い歴史を持つがゆえに、ここにはジョン万次郎、小泉八雲、泉鏡花、そして永井荷風といった錚々たるメンツが埋葬されているのだが、中央通りを渡ってすぐの場所に眠っている夏目漱石もそのひとり。彼の小説『こゝろ』には、主人公たちがこの墓地の敷地内を横断するシーンが存在する。明治の文豪というと文京区の本郷や小石川に住んでいる印象があるけど、その代表選手といえる漱石が、生まれたのが新宿で、長く暮らしたのが早稲田、そして葬られたのがこの雑司ヶ谷霊園と、思いのほか東京の西側に偏った人生を送ったのが意外で面白い。
 いちょう通りをさらに歩いていくと、美人画で知られる竹久夢二の墓に出くわす。彼は岡山の造り酒屋の長男として生まれたボンボンだが、幼いころに実家が没落し、女性と次々交際しては別れる人生を送ったせいか、長野の結核療養院で息を引き取ったときには墓がなく、友人の親戚の墓所があるこの地に葬られたらしい。
 こうしたトリビアを、歩きながらすらすら思い出せるのも、前職の旅行代理店時代に「東京の著名人墓参りツアー」で観光客をここに案内した経験があるからだ。そういえばあのツアーの企画者は久世野照生だった。
 俺のスマホが振動する。ショートメールが送られてきたのだ。
「もう着いたか」
 久世野さんからだ。
「どこにいるんですか?」
「まあ、そう焦るなよ。これから指定する場所に来て欲しい」
「どこにです?」
「1種1号の12番の通りを入ってすぐの左手に空き区画がある。そこでしばらく待っていてほしい」
1種1号12番ってまさか……。悪い冗談とは思ったけど、断ったからといって今さらどうなるわけでもない。俺は中央通りに戻ると、首都高5号線側とは正反対の方角に位置する都電荒川線雑司ヶ谷駅側の出入口へと向かった。そちら側に近ければ近いほど、墓所の番号が若くなるからだ。
12番通りを探すと、すぐに空き区画は見つかった。枯葉で埋め尽くされたところどころから、湿った地面が顔を覗かせている。この場所に限らず、雑司ヶ谷霊園には空き区画が結構な割合で存在する。誰もが羨望する伝統を持つ墓地にも拘わらず何故そんなことになっているのだろうか。答えは、墓地としての長い歴史がお参りしてくれる子孫が途絶えるリスクを増大させているから。無縁墓を防ぐために、この墓地の管理者である東京都は管理料を原則5年以上滞納すると、墓を撤去する方針を取っている。その結果が、相当な数の空き区画というわけだ。
 間もなく午前零時がやってくる。5、4、3、2、1。日が変わるのと同時にショートメールが送られて来た。
「来たか?」
「来たかって、来るのは久世野さんの方でしょう」
「雑司ヶ谷霊園に来てくれとは指示したけど、会う約束はしていない」
 あまりの屁理屈に流石に呆れてしまう。
「こんな何もない場所に呼び出しておいて来てくれないなんて、ただの嫌がらせじゃないですか」
「何もないところって……やっぱダメかw」
 久世野さんは落胆しながらも何故かウケているようだ。
「面白がっていないで、俺と会ってくださいよ。一体何を企んでいるんですか?」
「企んでいるんじゃない。お前が自由になるための手助けをしているんだ」
 自由? たしかに俺は楽さんとの契約に縛られて、ここ数年というもの働かされてきたわけだけど。
「俺にはわけがわかりません」
「わけがわからないなりに、もうひとつだけお願いを聞いてくれるか」」
「聞いたら会ってくれますよね?」
「もちろん。今日の夜明けの時間帯に、練馬区の光が丘公園にいてほしい」
 何だ、そりゃ。でもここまで来たら従うしかない。
「了解しました」
 俺は腕時計を見た。電車が動き出すまでまだ5時間ほどある。部屋に一度戻ってひと眠りできる時間はあるけど、どうせ落ち着かなくて眠れないだろう。決めた。俺は来た道を歩いて戻ると墓地の外に出て、首都高5号線の高架のすぐ下にある階段から東池袋駅の構内へと降り、0時31分発の最終便に飛び乗った。池袋駅に着くと、寝床が待つ東口ではなく北口へと向かった。始発を待つならチャイナタウンに限る。
いま日本で最もホットなチャイナタウンは、横浜中華街や神戸南京町ではなく、間違いなく池袋北口だ。なぜなら横浜や神戸に住む中国人の多くは戦前に日本に渡ってきた人々の子孫。だから料理は歳月を経て、日本風にマイルドに変化しており、街並みも日本人の客が喜ぶように観光地化されている。
それに対して池袋を仕切っているのは、80年代以降に日本にやってきた中国人たちだ。客として想定しているのは日本人ではなく、あくまで豊島区に住む約1万2000人にも及ぶ中国人たち。彼らの多くは東北部の出身のため、レストランのメニューには、横浜や神戸ではお目にかかれない蚕の唐揚げや犬肉料理なんてレアな料理が並んでいる。
レストランだけではない。雑貨店に旅行代理店、不動産仲介店、美容院、保育園、自動車学校、インターネットカフェなど中国人が中国語で生活を送る上で必要なありとあらゆるサービスがこの狭い一角に揃っているのだ。
俺は通りを見渡して、まだ赤いサインが灯っている店のひとつに入ると、青島ビールと適当なツマミをいくつか注文した。店の客は大半が中国人だったが、俺と同じように町中華ならぬガチ中華のムードを楽しんでいる日本人も少なからず居る。
コロナ禍の落ち着きと円安によって現在、東京には海外からの観光客が押し寄せてきている。それを忌み嫌って「外国人には来てほしくない」なんて意見もあるようだけど、そんなことを言う奴は、自分の足で東京の街を歩いているのだろうかと思ってしまう。なぜなら東京にはとっくの昔から外国から人が押し寄せてきているからだ。池袋のチャイナタウンだけではない。新大久保のコリアンタウン、高田馬場のリトル・ヤンゴン、西葛西のリトル・インディア、錦糸町のリトル・バンコク、そして竹ノ塚のリトル・マニラと、様々な国からやって来た人々が東京のあちこちで根を下ろして日々の生活を送っている。今になって騒いでいる連中は、こうした現実に対して目を塞いでいるだけなのだ。
 店には結局4時間近くいたけれど、店員は追い出そうともせず放っておいてくれた。遅すぎるディナーを終えた俺は、店を出ると池袋駅の構内に行き、自動販売機で買った缶コーヒーで手を温めながら改札が開くのを待った。和光市行きの有楽町線の始発がホームを出発したのは5時過ぎ、成増駅に着いたのはその20分後だった。
待ち合わせ場所として指定された光が丘公園は、そこから南に15分ほど歩いた先にある広大な公園だ。すでに空は明るくなり始めていたけど、日の出にはまだ1時間以上ある。公園北口から敷地内に足を踏み入れると、左手に野球場や陸上競技場といったスポーツ施設が見えた。俺は右手に広がる芝生広場に進んでいくと、そこで腰を下ろして太陽の到来を待った。ジョガーや犬を散歩する人がいてもいい時間帯だったが、真冬のせいか俺のほかには誰もいない。昼間は隣接する光が丘パークタウンで暮らす子どもたちの歓声で溢れているだろうこの場所は、完全な静寂に包まれていた。
久世野照生はなぜ俺をここに呼んだのだろう。雑司ヶ谷霊園とこの公園を結びつけると、彼が企画したこのオールナイトのツアーのテーマが何となく見えてくる。但し何故そんなツアーを開催したのかが謎すぎる。でもその裏にあるものを見破れなかったら、俺はアルゴンキンの未収金を回収できず、楽さんが言う最後のテストにも合格できないのだろう。まあ、いいか。どうにでもなれ。ダウンジャケットにくるまって俺はひと休みすることにした。
そこで見た夢はとても奇妙なものだった。俺が座っている芝生広場には2月らしからぬ暖かい陽の光が注がれていた。広場の周辺には、ここにあるはずもない木造平屋建ての家が等間隔で並んで建っている。俺の周りでは、小さな子どもたちが遊んでいたけど、光が丘パークタウンに住んでいるようには到底見えなかった。全員、肌の色が白くて髪の毛がブロンドだったり赤毛だったりしたからだ。成増にヨーロッパ系コミュニティが存在するなんて聞いたことがない。
そんなことを考えていると、急に空が暗くなり、子どもたちは闇の中へと吸い込まれるように居なくなってしまった。代わりに俺の目の前を現れたのは巨大なプロペラ機だった。暗褐色をしたプロペラ機は右から左へと凄まじいスピードで走っていくと、暗い空の彼方へと離陸していった。しかもそれは一機ではなく夥しい数に及んだ。その無数のプロペラから発せられる轟音に耐えきれなくなって耳を塞いだ瞬間、俺は目を覚ました。辺りは依然静まり返っている。野球場の方角を見ると、朝日が昇っていくのが見えた。
スマホをチェックすると、ショートメールが届いていた。久世野さんからだ。
「来たか?」
「だから来るのは久世野さんでしょう」
「今回も会う約束はしてないはずだけど」
 そりゃ言われてみればそうだけど。
「俺、さっきも書きましたよね。何もないところに呼び出さないでください」
「やっぱり何もなかったか」
「ええ、何もないんで寝ちゃいましたよ」
「もしかして平屋建ての家とかヨーロッパ系の子どもとか戦闘機の夢を見たとか?」
 俺は全身の毛が逆立った。
「何で俺の夢を言い当てられるんですか?」
「お前なら何を意味しているのか分かるはずだ」
 そりゃ分かりはするけど、なんで自分にこんな事が起きたのだろう。混乱していると、久世野さんから追信が送られてきた。
「オッケー。これから有楽町線に乗って、終点の新木場まで来てくれ。そこで会って話をしよう」


小説『インナー・シティ・ブルース』シーズン3

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PROFILE

長谷川町蔵

文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。

https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000

『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters

2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税

著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク