毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!
【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、人気政治家の武山順太郎。早速連絡をとると、武山はあっさり未収金を全額現金で支払う。しかしその後、武山は麻布狸穴町にある古いマンションの地上げについてマワローに話し始め、事態は複雑に───。
気がつくと、俺はアルゴンキンのソファの上に横たわっていた。頭が割れるように痛い。思わず手でおさえると、頭には包帯が巻かれていた。
「おはよう」
カウンターの向こうにいた囲間楽(かこいま・らく)が、俺の意識が戻ったことに気がついた。何かをコップに注いで、こちらにやってくる。色が茶色いので、てっきり烏龍茶だと思って飲んでみたら、ストレートのバーボンだった。咳き込む俺を眺めながら、楽さんはフフンと笑った。
「マワロー、何がおきたか覚えてる? お寺の門前で大の字になってノビてたんだよ」
「楽さんが見つけてくれたんですよね。でも何で俺の居場所がわかったんですか?」
「あなたが出かけたすぐ後、マティーニを飲み尽くしちゃって」
あんなペースで飲んだら、すぐになくなるはずだ。
「リカーショップに補充しに行こうと外に出たら偶然、半グレみたいな奴らがマワローの尾行を始めたところだったんだよね」
俺をボコボコにしたケイブ・エステート・サービスの連中か。
「面白そうだから、わたしもさらにそれを追いかけたってわけ。でも本駒込の改札を出たところで見失っちゃって。吉祥寺に辿り着いた時にはもう誰もいなくて、あなたがひとりで倒れていたってわけ」
最後の部分は明らかに嘘だ。彼女に見つけられた時点で俺はまだ意識を失ってなかったのだから。ケイブ・エステート・サービスの連中もまだあの場所にいた。そして奴らは、楽さんが一部始終を見ていたことに気がつくと、脅し文句を口にしながら彼女に近寄っていった。ところが楽さんはニヤっとしたかと思うと、男たちに向けて指でピストルを撃つようなポーズを取ったのだ。すると本当に指から「何か」が放たれて、四人はその場からふっと姿を消してしまった。マジシャンなのか、エスパーなのか。いずれにしても俺は、自分の雇い主がトンデモない人物であることにようやく気づいたのだった。もっとも、脳震盪がおこした幻覚かもしれないけど……むしろそう思いたい。
それにしても納得がいかない。ケイブ・エステート・サービスの連中は、元総会屋のフィクサー、山王勉の指揮のもとでコープ狸穴の地上げを行っていた。目的は、広告クリエイターの我孫子明が企んでいたショッピングモール「ドリームヒルズ」建設計画のためだ。ところが盗作騒動で我孫子が引退を余儀なくされ、計画はご破産になってしまった。本来ならそこで仕事は打ち切られるはずだ。何故一銭も儲からないのに俺を襲わないといけないんだろう。見込んでいた収入が吹っ飛んだ腹いせだろうか?
楽さんは、俺が考え込んでいる様子に気がついたようだった。
「まだ正解には辿り着いていないみたいだね」
「すみません、全然です」
謝るしかない。真相を一向に突き止められない上に、ボコボコに殴られた。もし楽さんが居合わせなかったら今頃どうなっていたか分からない。
「可哀想だからさ、ヒントをくれる人間に声をかけておいた。正解は言わないでって釘はさしておいたけど、手がかりは教えてくれるはず。じゃあね」
そう言うと、楽さんは急いでいるのかハンドバッグを手に掴むと、駆け足で店の外に出かけていってしまった。
「マワロー、大丈夫?」
セヴェリ春香が甲高い声をあげなから店内に入ってきたのは、囲間楽が出ていってから15分ほど経ってからだった。彼女の背後には、黒のレザージャケットにオールバックのヘアスタイル、スクエアな極太黒縁メガネという、どう見ても堅気ではない恰幅のいい男が付き従っている。セキュリティ・ガードだろうか。いや、顔立ちがどことなく春香と似ている。もしかして……。
「町尾回郎くん。はじめまして、春香の父親のミカエルといいます」
ミカエル・セヴェリ。クラブ・カルチャー全盛の1990年代にフィンランドからハウスDJとして来日したのをきっかけに東京に定住し、現在は外国人向け不動産会社、ネペンタ不動産を経営している男だ。
「怪我をさせてしまって申し訳ない。春香の大切な人なのに……」
セヴェリ春香がイタズラっぽい目でこっちを見ている。父親にあることないこと吹き込んでいるに違いない。
「でも俺を襲った連中とあなたがたは無関係じゃないですか」
「いや、山王さんの仕事を受けなかったわたしが悪いんだ。おかげで彼は別のところからタチの悪い連中を連れてきてしまった」
あなたが相談役を務める半グレ集団「C・ボーイズ」も相当タチが悪いでしょと、茶々を入れたかったけど、俺はこらえた。ミカエル・セヴェリは話し続ける。
「もしわたしが受けていたら、わざと手を抜いて仕事を遅らせていたはずだ。あそこを地上げしようなんて土台無理なんですから。そうすれば我孫子の軍資金は尽きて一件落着だったはずですからね。どうもフィンランド生まれなもので、あの一帯には手を出したくなくてね……」
「パパ! ヒントを言い過ぎだよ。楽さんに怒られちゃう」
セヴェリ春香が父親にツッコミを入れた。
「あれ? じゃあ何なら言っていいんだっけ?」
「山王のじっちゃんの話でしょ」
「おお、そうだった。」
「山王勉がどうかしたんですか? あの人の仕事も、我孫子さんが手を引いたことで終わったわけでしょう?」
ミカエルは答えた。
「いや、山王さんは雇い主を乗り換えたらしい」
「誰にですか」
「武山順太郎ですよ」
たしかにコープ狸穴の地上げ工作の首謀者を突き止めるよう俺に依頼してきたのは武山だ。我孫子の盗作騒動が報じられたのは、首謀者が我孫子であることを俺が武山に伝えた少し後である。
「わたしも、あの人が裏で動いて我孫子さんの追い落としを図った可能性があるとは思っていました。感心はしませんけど、でもあくまでコープ狸穴に部屋を持っている恩人のために行ったことなんじゃないですか? それに彼が我孫子になり代わってドリームヒルズ計画を仕切るなんて無理でしょう。衆議院議員には財産開示義務がありますし」
「ショッピング・モールとは限りませんよ。まあ、いずれにせよ実現不可能なわけですが」
「パパ!」
セヴェリ春香が慌てて父親を再度注意する。つまり武山の目的は、ショッピング・モールの建設利権を奪い取ることではない。となると、彼は何を企んでいるのだろうか。調べてみるしかないか。
「春香さん。ネペンタ不動産のオフィスには全国の登記簿を閲覧できる端末はありますよね」
「もちろん。不動産会社だもの」
「明日の朝イチに調べたい不動産の住所をメールしますから、権利関係を調べてもらえますか」
「いいよ。でも仕事にとりかかる前にどこかで何か食べない?」
「春香、町尾さんの仕事を邪魔しちゃいけない。それにしてもこんな状態で仕事をしようなんて見上げたものですよ」
ミカエル・セヴェリが「さすが俺の娘が身染めた男」みたいな顔をするので、俺は「やめてください」と叫びそうになった。
その後はセヴェリ春香が「お腹が減って死にそう」と騒ぎ出したので、ウバーイーツでピザを頼んで皆で食べることになり、親娘がアルゴンキンを去ったのは1時間ほど後のことだった。俺はカウンターの引き出しからバファリンを探し出して飲み込み、バーボンの残りで胃に流し込むとソファーでしばらく横になった。起きて壁時計を見ると、夜10時30分を過ぎている。俺はスマホを取り出して電話をかけた。
「はい、森林珈琲ですが」
「マイコーさん? 町尾回郎です」
「ひさしぶり。最近来てくれないじゃん。元気?」
「ええ、まあ何とか」
俺が電話をかけた相手は、中野坂上の喫茶店「森林珈琲」だった。アルゴンキンの回収の仕事をきっかけに偶然知った店だが、マスターのマイコーさんの話が面白いので、たまに通うようになっていたのだ。しかし今夜話したい相手は彼ではなく、同じ仕事で知り合いになったある女性だった。
「名波さんは来てます?」
「もちろん。ナナミン、マワローくんから電話!」
「はい」
電話の声が名波玲(ななみ・れい)に変わった。
「町尾さん、久しぶり。もしかしてアルゴンキンでライブをやれるの?」
「地雷原ゼロ」という芸名で地下活動を行っているスタンダップ・コメディアンの彼女は、アルゴンキンでネタ見せライブを開きたがっていたのだ。
「ごめんなさい。まだアルゴンキンは営業再開の目処が立ってないんですよ。それより今日は本業の方で伺いたい話があって」
「えーっ、わたし本業は芸人の方なんだけど」
実は彼女は、経済産業省に勤務するバリバリのキャリア官僚でもあったのだ。
「衆議院議員の武山順太郎の噂って、何か聞かないかなと思って」
「あー、あいつねー」
名波玲は露骨にイヤそうな声をあげた。世間の評価とは全く異なるのが意外だった。
「あいつ、『精神的にはパンク』とか言っているけど嘘ばっか。本当はマッチョで古臭い、典型的な自認党のセンセイって感じのオッサンなんだよね」
「でもあの人、なんとなくクリーンな感じがしますけど」
俺の指摘を、彼女は真っ向から否定する。
「町尾さんすら騙されるんだ。わたしたち霞ヶ関の人間にとっては、金になびく政治家の方がまだマシなんだよね。だって損得を説明すれば得な方に動いてくれるから。厄介なのは寧ろ金では動かないああいうタイプ」
「でもそれは武山さんに信念があるって証拠ですよね?」
名波玲は笑い出した。
「町尾さん、人間が権力の中心に居座れるのは信念とかいう形のないもののおかげじゃないよ。それに考えてみて、地元に利益をぜんぜん還元しないのに、何であいつがあんなに選挙に強いかって」
「ナナミンさんは理由を知っているんですか?」
「知ってるけれど、言わない」
「なんでですか?」
「楽さんに止められているからです」
ここにも囲間楽の手は回っていたか。でも名波玲からヒントはもらえた。俺は彼女に礼を言うと電話を切った。
武山順太郎の企みは登記簿を調べればわかるような気がしてきた。俺はノートパソコンを開いて調査リストの作成にとりかかった。でも先程のミカエル・セヴェリの言動を思い出して、何かがひっかかり始めた。なぜ海千山千の不動産業者である彼が、コープ狸穴の地上げの仕事を嫌がったのか。そして「土台無理」「実現不可能」とまで断言したのか。
いや、今それを考えても仕方ない。気分転換して音楽でも聴くか。俺はスマホを手に取ると、スポティファイのアプリを立ち上げた。その瞬間、脳裏に東京ドームシティで会話を交わしたときの我孫子明の声が再生された。
「『雨の西麻布』って曲、知ってる? 」
俺はサーチ機能でとんねるず「雨の西麻布」を探し出すと、まずその1曲だけでリストを作り、「おすすめ」に出てきた曲の一覧をそのリストに加えてみた。未知の音楽ジャンルを探求する際に俺がよく使う手法だ。
リストを見ると、我孫子が同じ日の会話で口にしていた曲「別れても好きな人」が2バージョンもリストに加わっている。歌っているのは、ロス・インディオス&シルヴィアとヒロシ&キーボー。この曲はムード歌謡のジャンルでは人気曲のようだ。曲名をタップして他に誰が歌っているのか調べてみた。
バージョンが多すぎる。フランク永井と松尾和子、和田弘とマヒナスターズといったムード歌謡界のビッグネーム、テレサ・テンや都はるみといった演歌界の大物、そしてJUJUや中山秀征&柏木由紀、剛力彩芽&米米クラブの石井竜也なんて意外な人までがこの曲を歌っていた。
俺はすべてのバージョンをリストに加え、作業のかたわら片っ端から色んな「別れても好きな人」を聴いてみた。どれもアレンジはラテン風のリズムを基調としながら、フルートやストリングスが入っている。おそらく誰かのバージョンを手本にしているのだろう。
しかしあるバージョンはそれらと全く異なっていた。スチールギターとオルガン、ウッドベースをフィーチャーした編成で、フォークとハワイアンの中間のようなサウンドを奏でている。アーティスト名を確認する。パープル・シャドウズ。七三けでカラーシャツにスラックスというヒッピー・ムーヴメント以前のアメリカの大学生のようなファッションをしている。ほかの歌謡曲のスターたちとは一線を画したルックスだ。そしてそれ以上に驚かされたのは、二番の出だしの歌詞だった。
「これは!」
俺は思わず声をあげた。何かを発見した気がしたからだ。でもまさかそれが正解に至る手がかりになるとは、その時思わなかったのだった。
『インナー・シティ・ブルース』発売記念
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PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク