毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!
【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回の標的は、人気政治家の武山順太郎。早速連絡をとると、武山はあっさり未収金を全額現金で支払う。しかしその後、武山は麻布狸穴町にある古いマンションの地上げについてマワローに話し始め、事態はより複雑に。解決のヒントはムード歌謡の名曲「別れても好きな人」の歌詞にあった───。
日曜、しかもまだ午後2時過ぎだというのに、赤羽の一番街に店舗を構える「立ち飲み なごみ本店」は客でごったがえしていた。中には土曜の夜から飲み続けているであろう輩もチラホラいる。俺はカウンターに2座席分を確保すると、生ビールをオーダーした。
10分ほど経ってからだろうか。立てつけが悪い引き戸にありがちな、金属が擦れる音がしたので店の出入口を見ると、紺のジャケットにグレーのスラックスという格好の武山順太郎が入ってきた。晩秋だというのに顔が黒々と日焼けしている。相変わらず仲間からの応援演説の要請が絶えないのだろう。
「お久しぶりです」
俺がそういうと、武山は白い歯を剥き出しにして大袈裟に驚いてみせた。
「どうしたんですか、町尾さん?」
無理もない。俺の顔からは酷く殴られたことによる腫れがまだ引いていなかったのだ。もしここが赤羽の飲み屋ではなく白金のレストランだったら入店を拒否されるかもしれない。
「ケイブ・エステート・サービスの連中に派手にやられましてね」
「それは災難でしたね」
「コープ狸穴を地上げしている黒幕を調べようとして、トンデモない目に遭いました。まあ、何とか突き止めましたわけですが」
「それがケイブ・エステート・サービスなんですよね? 経営しているのは我孫子明……」
「いいえ、武山さん、あなたです」
武山が驚いた表情をする。
「どういうことかな。僕は恩人のために動いただけで、あの会社とは寧ろ対立関係にあるんだが……」
「それではご説明しましょう」
俺は運ばれてきたジョッキから喉にビールを思いっきり流し込むと、ここ最近、セヴェリ春香の助けを借りて取り組んでいた研究結果を披露した。
「武山さんの選挙区にあるご自宅や事務所の登記簿を調べさせていただきました。すると全て「出雲黎明」という有限会社の持ち物でした。その会社の登記簿に記載された情報を追っていったところ、ある団体に辿り着きました。ご存じでしょう、大国主乃縁(おおくにのしのえにし)を」
武山順太郎が黙り込む。
「あなたの奥様のご実家が、代々信仰してきた新興宗教団体です。信者の殆どは島根県に集中しているものの、山陰地方の政界では隠然たる力を持っていると評判です。その教義はゴリゴリの保守。極右といってもいい」
「たしかに妻の実家の者は信仰しているよ。でも妻も僕も関係はない」
「あなたが信仰していないことは分かっています。その力を利用しようとしたんですよね。責める気はありません。二世議員でも官僚出身でもないあなたが選挙に当選し続けるには、どこかの勢力に基礎票を頼るしかなかったわけですから。問題なのは、利用しようとして逆に利用され続けてきたことです。口では『精神的にはパンク』と言いながら、武山さんが、原発廃止や同性婚、女性天皇制に関する法案を作ろうと具体的に動いたという話は一切聞きません」
「そんな噂、どこから聞いた」
「噂じゃありませんよ。経済産業省の官僚に知り合いがいましてね」
情報元は、地下スタンダップ芸人、地雷原ゼロこと名波玲。彼女が言うことに間違いはない。
「役人どもは僕を嫌っているからな。それに保守的な党内で物事を動かすのは大変なんだ」
「簡単でないことはお察しします。でも新興宗教団体の代理人になりさがったのは支持者への裏切りではないでしょうか。ああ、そうそう、大国主乃縁のメルマガに入ってみたのですが、あの団体はここのところ、東京への本格進出を目標にしているようですね。しかも一等地に」
ふと視線を横にやると、武山順太郎が大ジョッキでビールを飲みはじめている。素面で真実を聞かされることに耐えられないのだろう。でも話を続けなくては。
「ここからは私の憶測です。大国主乃縁から港区内に巨大な東京支部の建物を作りたいと無茶振りされた武山さんは、昔事務所として借りていたコープ狸穴の土地はどうかと思いついた。そこでかつての支持者に連絡を取ったものの、ケイブ・エステート・サービスがすでに地上げを進めていることを知った。その時、ちょうど私からアルゴンキンの未収金支払いの連絡があったため、渡りに船とあなたは私に調査を命じたのです。首謀者が我孫子明と山王勉であることを知ったあなたは、自認党の仲間から山王を紹介してもらい、金で自分に寝返らせた。彼は海千山千の仕事師ですから、自分に仕事を依頼してきた人間の弱点も必ず握っています。その結果、我孫子さんは盗作が明るみになって広告業界からの引退を余儀なくされました。現在、地上げされた11戸はドリームヒルズ企画所有のままですが、実質的には出雲黎明の傘下になっているはずです」
「僕は何も知らない! なぜなら……」
俺は、武山順太郎の反論を遮った。
「いや、知っているどころか積極的にケイブ・エステート・サービスに指示したでしょう? 『町尾の口を封じろ』って。おそらく命令を受けた彼らは俺を痛めつけた後、『コープ狸穴の件にはもう口出しするな』って捨て台詞を吐くつもりだったんでしょう。もっとも、俺のボディガードがそれを言う前に叩きのめしてしまったせいで、何も言えずに終わったわけですが」
凄腕ボディガードの正体が、黒いパーティドレスに身を包んだ華奢な女、囲間楽だったことは内緒にしておこう。
「お陰でかえって狸穴に興味を抱いてしまったので、あの街について色々調べましたよ。これから今日わざわざお呼びだてして言いたかったことを言います。悪いことはいいません。狸穴には関わらない方がいい。手を引いた方が身のためですよ」
武山は口の端を歪ませて笑った。
「町尾さん、負け惜しみは言わない方がいいんじゃないかな。買収は着々と進んでいる」
「山王勉は手を引きましたよ」
「ええっ」
「昨晩、彼が根城にしている麻布十番の会員制バー『アモーレ』で説明しました。するとすぐ納得してくれたようでした」
嘘ではない。過去の仕事で知り合ったアパレルメーカー「WFFM」の円山社長が『アモーレ』の会員だったので、紹介してもらった上で押しかけたのだ。流石に凄みのある人物だったが、事情を説明すると『ありがとう。おかげで命拾いした』と感謝されて拍子抜けした。しかし今、俺の目の前にいるこの男はまだ納得していないようだ。
「山王さんの代わりなんていくらでもいる。大国主乃縁の総裁は狸穴の立地を気に入って、金なら幾らでも出すと言っているんだからな。2020年代の終わり頃には麻布台ヒルズの真向かいに、それと同じくらいの高さの巨大な黄金の鳥居が建つはずだ」
「随分悪趣味なものが立つんですね」
俺が嫌味を言うと、武山も嫌味で返してくる。
「今、東京で進んでいる再開発で本当に趣味の良いものがあったら教えて欲しいね。どんなものが建とうが、法に則っているなら問題はないはずだ」
「これは法律云々を超えているものなんです。わたしの話を聞いてください。怪我で仕事を休んでいた間、『ムード歌謡』という音楽ジャンルを聴き込んでいたんですが、『別れても好きな人』という曲をご存じでしょうか」
「ロス・インディオス&シルヴィアの曲だろう?」
「最初に歌ったのは松平ケメ子です。発売年は1969年。同じ年にパープル・シャドウズが歌ったバージョンがヒットしています。その十年後の1979年にロス・インディオス&シルヴィアがカバーする際に、歌詞の一部が変えられました。ご存じの通り、この曲では東京の盛場の名前が次々歌われていくのですが、青山が原宿に、狸穴が高輪に変えられたのです。青山はともかく、なぜ狸穴が歌われていたのでしょうか。あんな小さな街なのに」
武山順太郎は意味不明と言いたげな表情をしている。
「実はふたつのバージョンの間の1974年に、港区内の住居表示の変更が行われていたのです。それ以前の麻布狸穴町には、現在の麻布台2丁目の一部も含まれていました。その代表的な施設とは、東京アメリカンクラブとソヴィエト連邦大使館です。60年代にはこの周囲にバーが立ち並んでいて、六本木と別の盛場として扱われるほどの賑わいを見せていたのです。だからこそ1969年バージョンでは狸穴が歌われていた」
「おいおい、それと僕が身を引かなければいけない理由と何の関係があるんだ?」
「さっき言った通り、狸穴はアメリカとソ連が隣り合っている町なんです。冷戦時代、米ソのエージェントは、港区内で諜報合戦を繰り広げていました。今はなくなってしまったニュー・ラテンクォーターやコパカバナ、レストラン・ニコラといった店がそうした戦いの舞台でした。そして狸穴エリアに限っていえば、諜報だけじゃなく、地上げ合戦も繰り広げていた。これを見てください」
俺はバッグから紙の束を取り出すと、カウンターの上に置いた。それを眺め始めた武山に向かって俺は説明を続けた。
「コープ狸穴の全32戸のうち、ドリームヒルズ企画が所有していない21戸分の所有権を調べてみました。真の所有者との間に何社も名義貸しだけしているダミー会社が入っていて、調べるのに難儀しましたよ。結論を言いますと、21戸中うち18戸がアメリカもしくはロシアの息のかかった法人によるものだったのです。対象範囲を狸穴全域に広げると、昨年からこの街ではロシア側の『買い』が活発化しています。理由がわかりますか」
武山がまだ分かっていないようなので、答えを言ってやった。
「ウクライナ戦争です。ソ連から場所を引き継いだロシア大使館の登記簿もあげてみたのですが、所有者は未だに『ソヴィエト連邦』名義になっているのです。理由はソ連の一部だったウクライナ共和国がロシアに権利を譲渡することを頑なに拒んでいるため、書き換えが出来ていないからです。もし今回の戦争でウクライナが勝利するような事態になったら……」
武山がジョッキから顔をあげた。
「ロシア大使館の土地は、ウクライナのものになり、そこから最大の援助国アメリカの手に渡る可能性があるということか?」
「その通りです。それこそが港区を舞台に長年繰り広げられてきた米ソ冷戦の真の終結になるわけです。もちろんそんな結末をあの大統領が許すわけがない。彼の命令で逆にロシアは『買い』を活発化させているわけです」
「なんでそんな大ごとを誰も知らないんだ?」
武山の問いに俺は答えた。
「かつては自認党内でも公然の秘密として語り継がれていたらしいです。ところが万年傍流だった昭和会、あなたの属する派閥でもあるわけですが、あそこが党内の権力を握ったために、そうした保守政党ならではの智識も失われてしまったようなのです。むしろ民間企業にそうした智識が受け継がれているのかもしれません。麻布台ヒルズのメインストリートが神谷町側であること、六本木を拠点とするネペンタ不動産が地上げに消極的だったこともこれで説明がつきます」
もっともネペンタ不動産については、オーナーのミカエル・セヴェリがロシアと1000キロ以上にわたって国境を接しているフィンランド出身であることも理由のひとつなのだろうけど。
武山順太郎はしばらく黙りこんでいたが、突然声をあげて笑い始めた。
「所詮はぜんぶ君の憶測なんだろう? 永田町で揉まれ続けた僕から言っておく。いいか、ここは日本で、日本は法治国家なんだ。その法律を作るのは僕たち政治家であり、その全ての基盤になっているのは日本人同士の恩義の貸し借りなんだよ。アメリカやロシアの勝手なプライドなんか通用しない。いや、通用させない!」
やはり聞く耳を持ってはくれなかったか。おそらく俺みたいなライト層のファンではなく、古くからの信奉者は、武山の変節なんかとうの昔に気づいていたのだろう。でも分かっていながら甘やかし続けてきたことで、政治家としてどん底の存在にまで貶めてしまった。何より悲惨なのは、本人が今でも自分こそ改革勢力だと思い込んでいることだ。
「わかりました。わたしの話は以上です。これで武山さんともお別れです」
俺は財布をひっくり返すと、ある限りの紙幣と硬貨をカウンターの上に置いた。
「26万3560円、ちょうどあります。これで思いっきり飲んでいってください」
俺はそう言い捨てると、「なごみ本店」を後にした。
その翌月のある日の深夜3時過ぎ、遅い仕事を終えた俺は、ふと思い立ってアルゴンキンに立ち寄ってみた。
間接照明が一灯だけともるカウンターに囲間楽が肩肘をついて、マティーニを飲んでいた。
「この時間帯なら店にいるんですね」
「そうだよ。知らなかったっけ」
囲間楽は何かを思い出したような表情をすると、カウンターの下から何かを取り出して俺に手渡した。新聞紙だ。
「今日の早刷りの朝刊。社会面を読んでみて」
俺は紙面を見て、思わず声をあげた。
大国主乃縁の本山全焼 恨みを抱く宗教二世の放火か。
「うわー、もしかしてこれって奴らの仕業ですか?」
「マワロー、そのポップな反応からすると、下段のおくやみ欄まで読んでないね」
楽さんにそう諭された俺は、視線を紙面の下側に落とした。
武山 順太郎さん(たけやま・じゅんたろう=衆議院議員)12月8日急性心不全のため自宅で死去。葬儀は近親者で営み、近日中にお別れ会が開催される予定。
なんてことだ。
「俺、武山さんを見殺しにしちゃったんですね……」
「まあ、そういう見方もあるかもしれないけどさ、ああいう人は遅かれ早かれ自滅したと思うよ」
囲間楽が彼女なりの物言いで俺を慰める。
「今回は最悪でした。結果もそうだけど、過程もです。自分の力だけでやるつもりだったのに、楽さんをはじめ色んな人の手を借りちゃったし」
「ううん、他人の力を効果的に使えるようになったのは成長だと思う。そもそもマワローに本当にやってほしい仕事って、そういう仕事だしね」
えっ、俺に本当にやってほしい仕事って何だろう。もしかするとアルゴンキンの未収金回収とは違う仕事を指しているのか?
俺の中で湧き上がる疑問をよそに、囲間楽は予想外の言葉を口にした。
「次が最終試験だから」
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PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク