毎回、東京のある街をテーマに物語が展開する長谷川町蔵の人気シリーズ「インナー・シティ・ブルース」のシーズン3。銀座を本拠地に、ディストピア感が増す東京を東へ西へ行き来しながら繰り広げられる、変種のハードボイルド探偵小説をご堪能ください!
【あらすじ】主人公・町尾回郎(まちお・まわろう)はアラサーのフリーター。銀座の外れにあるバー「アルゴンキン」での過去のツケ返済のため、自分と同じ立場の奴らからツケを回収する仕事を引き受けている。今回、最後となりそうな標的は、マワローが昔働いていた旅行代理店の先輩であり恩人でもある久世野照生。久世野がラスボスなのか? そんな時、マワローのスマホに久世野からショートメールが届いた。そこには再会の場所が指定されていた───。
成増から有楽町線に乗り込んだのは、7時ちょうどだった。すでにそれなりに混んでいる。相互乗り入れしている東武東上線沿線から乗り続けている客も多いのだろう。混雑の度合いは、池袋に近づくに従って次第に増していき、市谷〜飯田橋間でピークに達した。しかし俺が「アルゴンキン」に顔を出すときに乗り降りしている銀座一丁目を通り過ぎると、車内はさっきまでの喧騒が嘘のようになった。
終点の新木場に着いたのは8時前。スマホを見ると、久世野照生からショートメールが届いている。
「夢の島マリーナまで来てくれ。そこで会おう」
改札を出て、東西を走る湾岸線の高架をくぐると、そこはもう夢の島公園だ。ここがもともとゴミ処分場だったことは大抵の東京都民なら知っている常識といっていい。しかしその大半が「ゴミを海に埋め立てることによってできた人工島」という悪いイメージを払拭するために、あえて「夢の島」と名付けられたと思い込んでいるのではないだろうか。
事実はまったく異なる。戦時中に東京湾内に水陸両用空港「東京市飛行場」を建設する計画が立てられたのが人工島誕生のきっかけだった。しかし戦局が厳しくなると建設計画は頓挫。戦後の1947年にオープンしたのは飛行場ではなく海水浴場だった。その名前こそが「夢の島海水浴場」だった。現在も公園入り口付近に設置されているトーテムポールやヤシの木は、「東京のハワイ」と宣伝された海水浴場時代の名残なのだ。
しかし海水浴場は台風や財政難が原因でわずか3年後に閉鎖。役目を失った夢の島は1957年から、東京中のゴミ処分場として使用されるようになった。現在の姿になったのは1978年。各々の区にゴミ焼却施設が作られるようになり、夢の島内に江東区の焼却施設を建設することになった。それだけではあまりに味気ないからと体育館、水泳場、競技場、野球場などを備えた巨大な公園として整備されたのだ。公園内を東側に直進して、行き止まりを左折すると巨大なカマボコ形の建造物が見えてくるはずだけど、それは焼却施設の余熱を利用した植物園の大温室なのだ。
久世野さんが待ち合わせ場所に指定した夢の島マリーナは、島の北側を走る運河に面して作られた700隻が停泊できるヨットハーバーだ。そこに行くために俺は、陸上競技場奥にある傾斜のついた小道を降りていった。こうした近道を知っているのも、旅行代理店時代に久世野さんが企画した東京湾クルーズ・ツアーのアテンドを行った経験があるからだ。
おかしい。坂道の傾斜は緩やかなのに、なぜか心臓の動悸が高まりはじめている。呼吸の自由が効かない。俺はその場に倒れ込んだ。慌てながらヨットハーバーが見える場所まで何とか這い出すと、芝生の上に仰向けになった。目に見える景色は朝の空だったはずなのに、そこに広がる光景は予想とはかけ離れたものだった。閃光、地鳴りのような響き、そして見渡す限りの炎、炎、炎。そしてすべては黒く塗りつぶされた。
次の瞬間、俺が観たものは、夜空だった。どうやら俺は気絶していたらしい。仕事をサボって芝生で昼寝をしているサラリーマンは珍しくないので、俺も放っておかれたのだろう。それにしてもずいぶん長い間、意識を失っていたものだ。ゆっくり上半身を起こそうとした時、俺は懐かしい声に話しかけられた。
「マワロー、ひさしぶり」
声の主は久世野照生だった。5メートルほど離れた場所に立っている。実際に会うのは、7〜8年ぶりだったけど全然変わっていない。唯一変わったところがあるとしたら、黒い細身のコートを羽織った姿が到底サラリーマンに見えないことだけだ。
「マワロー、何が見えた?」
俺は正直に答えた。
「水素爆弾の爆発ですかね」
ヨットハーバーに続く道中、俺はある建物を通りすぎていた。第五福竜丸展示館。漁船「第五福竜丸」をそのまま展示した施設だ。1954年、マグロ漁のために静岡を出発したこの船は、太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験に遭遇した。アメリカが原爆の1000倍とされる水爆の威力を過小評価して立ち入り禁止区画を狭く設定していたのが原因だった。乗組員23人は全員被爆し、マグロも放射能に汚染された。この衝撃的な事件は、世界中の反原水爆運動の発端となり、映画『ゴジラ』のインスパイア源にもなった。
にもかかわらず事件の主人公だった第五福竜丸はすぐに歴史の表舞台から姿を消した。おそらくアメリカ政府の反応を恐れたのだろう。船を買い上げた当時の文部省は調査を済ませると船を改修し、わずか2年後には「はやぶさ丸」と改名して、東京水産大学の練習船に下げ渡してしまったのだ。母港は千葉県の館山となり、第五福竜丸としてのアイデンティティは完全に消し去られた。
本来の名前と姿を取り戻したのは、廃船後の1967年に、夢の島マリーナに残骸が係留されている姿が東京都職員に発見されたのがきっかけだった。こうした経緯があったからこそ現在、第五福竜丸は夢の島内に保存されているのだ。
「やっぱり見えたか」
久世野さんは驚いていない。それどころか彼は今朝、俺が光が丘公園で見た幻の内容まで当てていた。俺が何を見るのかあらかじめ知っていたんだ。
「もしかしてあれは久世野さんが作ったプロジェクト・マッピングか何かですか?」
「映像を作ったのは俺じゃない。マワロー、お前自身だよ。空間に漂っている残留思念を嗅ぎ当てて脳内で具体化したんだ」
残留思念と言われても何のことか分からないけど、幻の内容に一応の説明はつく。光が丘公園は1973年に日本に返還される以前はアメリカ空軍の家族宿舎「グラント・ハイツ」で、その前は特攻隊の出撃基地「成増飛行場」だった。だから軍の官舎やアメリカ人の子ども、戦闘機が次々と現れたのだ。でも納得なんかできない。
「俺にそんな能力はありませんよ。もし見えるとしたら、生まれつきのエスパーか何かでしょう。大体そんな力を持っていたら俺、サラリーマンなんてやっていないですよ」
久世野さんは笑みを浮かべた。
「たしかにお前はそんな力を持っていなかった。でもここ数年間、誰かさんの下で働いていただろう? その仕事が力を得るための訓練だったとしたら?」
囲間楽が俺を訓練していたって? でも雇われた理由がそもそも違う。
「俺が楽さんに雇われていたのは、アルゴンキンの未収金を返すために、ほかの常連客の未収金を取り立てるためですよ。そんなオカルトめいた話とは関係ない」
「マワロー、おかしいと思わなかったのか。お前の報酬は回収額の15%だろ。でもお前に払う報酬があれば債権回収専門の弁護士を雇えるんだよ。それなのに楽はズブシロを雇った。マワローが仕事に失敗してもあいつはニヤニヤしながら酒を飲んでいるだけだっただろう?」
「楽」とか「あいつ」とか呼んでいるのが妙に気に触る。久世野さん……いや、こいつは彼女と過去にトラブって、その恨みから出まかせを言っているにちがいない。しかし同時にその言葉には妙な説得力があった。楽さんは、仕事に成功するかどうかよりも俺が回収のためにどんなことを行なったかに興味を持っていた。
俺が黙りこんでいると、奴は手にスマホを持ってこちらに見せた。
「マワロー、アルゴンキンの口座にこれから345万9678円を振り込む。そうしたらお前はもう自由だ。そのまま東京から立ち去って二度と戻ってくるな」
「ちょっと待ってくださいよ。もし久世野さんの話が正しいとしたら、楽さんには何かの計画があるはずです。それを訊くまでは行けません」
奴が不思議そうな顔をする。
「興味なんかあるのか? 楽の考えに?」
「ええ」
「面白そうだったら、あいつの下で働くつもりなのか?」
「たぶん」
「あーあ、だから深入りはやめとけって言ったのに」
奴はそう言うと、ショルダーバッグの中から慎重に何かを取り出して、こちらへと向けた。夜の闇ではっきりと見えなかったけれど、おそらく銃だろう。これが小説の世界だったら、奴はコートの内ポケットからさっと取り出したはず。でもピストルは種類によって1キロくらいの重さがある。ペットボトル2本の重さの物体を片方のポケットに入れて動き回るなんて非能率なことこの上ない。だから現実世界では、ピストルをショルダーバッグで持ち運ぶのだ。
やばい。こんな時に余計なことを考えてしまうのが、俺の悪い癖だ。確かに俺は深入りしすぎた。調子に乗って何でもやれるって思いあがっていた。久世野照生の持つ黒い筒が音を立てた。
ポンっ!
銃声ではない。シャンパンの栓が開く音だった。
「おめでとう」
聴き慣れた声がする方角に顔を向けると、囲間楽が立っていた。
「エージェント採用課程、修了だってさ」
彼女の横に立っている久世野さんが言い添える。
「エージェントって何ですか?」
「囲間家の仕事を手伝うエージェントのこと。うちって江戸時代から続いている霊的守護者の家系なんだよね。昔は陰陽師って呼ばれていたけど、みんなが思うような雅な仕事じゃない。どちらかといえばゴーストバスターズに近いかな。東京であまりにもメチャクチャな再開発をやり続けたせいで、あちこちから怨念が吹き出してトラブルを起こしているからね」
「久世野さんもエージェントだったんですか?」
「まあね。俺は代々エージェントを取りまとめている家の生まれなんだ。要するに執事みたいなもんだな」
楽さんお抱えの何でも出来る腕利き執事って、久世野さんだったのか。
「囲間家の活動を維持するためにいろんな会社を経営もしている。新聞社や不動産会社、それと旅行代理店とか」
「もしかして一橋ツーリストって……」
「そう、うちの会社。実は俺、本当の名字は一橋なんだ。下の名前は貞(みさお)。今後ともよろしくな」
「久世野さん……いや、一橋さんがいれば俺なんて必要ないんじゃないですか?」
「最近、父親の体調が悪くてさ。代わりにオフィスワークをやるようになったら、とてもじゃないけど楽のサポートまで手が回らなくなって」
楽さんが話に横入りして説明を引き継いだ。
「それでせっかくだから、これを機会に外部から採用しようと思ったんだよね。うちのエージェントって基本的に世襲制だから、外部から採るのは戦後初だってさ。それで『アルゴンキン』のドロシー・ママのところに相談に行ったらマワローを推薦されたってわけ。人や運を引き寄せる不思議な力があるってさ。しかも貞の会社の後輩だったって言うし、ひとりっ子でご両親が他界されているから故郷とも疎遠。これは絶対エージェント向きだって思って、貞に確認したら大反対されちゃってさ」
一橋貞が苦笑いながら補足する。
「マワローを評価してないわけじゃないんだ。むしろ逆。でもエージェント業って、霊感がないと基本的に無理な仕事なんだよ。お前って霊的センスがゼロだろう? だって巣鴨プリズンの正面にあれだけ長く住んでいるのにメンタルが全然やられないんだから」
そういえばサンシャイン・シティが開発される前、あそこは太平洋戦争の戦犯が収監され、処刑が行われた刑務所だった。
「それでわたしが『アルゴンキン』の未収金回収って仕事を考えついて、それを名目に東京中を歩き回らせて霊的センスを育成したらって思いついたわけ」
俺の仕事は、楽さんが考えついたでっちあげだったんだ。
「未収金も嘘だったんですか?」
「あれは本当。だって実際、あれだけ多くの人たちがお金を払ってくれたでしょう? でももともと貞のお祖父さんにあたる人が政財界の情報を得るために開いたお店だから、未収金の額なんて気にかけていなかったみたい」
「ドロシー・ママの病気は?」
「そっちは真っ赤な嘘。コロナを機に引退しただけだよ。今はハワイで楽しく暮らしている」
それで一橋ツーリストからわざと俺をリストラさせて、のこのこアルゴンキンにやって来るのを待ち構えていたというわけか。たしかに今の仕事についてから、俺は旅行代理店時代には行かなかったような場所も歩き回らされていた。ひょっとすると回収先の場所も霊的センスの育成に役立つかどうかを念頭に選ばれていたのかもしれない。
「2年半も俺の様子を見ていたんですか?」
「マワローには一生働いてもらうつもりだったからね。何ならもっと長くても良かったんだけど、コロナで鎮まっていた色々なものが、最近また動き出しているんだよね。だから急がなきゃと思って、最後は劇薬を大量に与えて力を無理やり覚醒させた」
楽さんの言葉を一橋貞がフォローする。
「マワローに説明するまでもないと思うけど、雑司ヶ谷霊園の1種1号12番。あれは東條英機のお墓だから」
巣鴨プリズンに東條英機の墓所、特攻隊の基地、水爆に被爆した漁船。有楽町沿線だけでもこれだけあるのだ。東京全体ではどれだけ霊的なスポットが存在するのだろう。ぞっとすると同時に、何だか楽しくもなってきた。そんな表情を読み取ったのか、楽さんは俺が仕事のオファーを受けたと受け止めたようだった。
「わたしはよく分からないけどギャラは悪くないらしいよ。詳しい話はあとで貞から聞いて」
俺はグラスを持たされると、一橋貞が注いだシャンパンを飲み干した。楽さんの言う通り、エージェントの給料は自分の目を疑うほどトンデモないものだったけど、仕事の内容もそれに負けずにトンデモなかった。それについてはいつかまたどこかで話したいと思う。
とにかく、こうして俺の新しい仕事が始まった。
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PROFILE
長谷川町蔵
文筆業。最新刊は大和田俊之氏との共著『文化系のためのヒップホップ入門3』。ほかに『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』など。
https://machizo3000.blogspot.jp/
Twitter : @machizo3000
『インナー・シティ・ブルース』
Inner City Blues : The Kakoima Sisters
2019年3月28日(木)発売
本体 1,600+税
著者:長谷川町蔵
体裁:四六判 224 ページ 並製
ISBN: 978-4-909087-39-3
発行:スペースシャワーネットワーク